トップQs
タイムライン
チャット
視点

松浦誠信

江戸時代中期の大名。平戸藩第8代藩主 ウィキペディアから

Remove ads

松浦 誠信(まつら さねのぶ)は、江戸時代中期の大名肥前国平戸藩の第8代藩主官位従五位下肥前守

概要 凡例松浦 誠信, 時代 ...

略歴

第6代藩主・松浦篤信の次男として誕生。幼名は吉松、数馬。

享保13年(1728年)11月7日、第7代藩主で兄の有信の死去に伴い、末期養子として家督を相続した。同年11月15日、第8代将軍・徳川吉宗に謁見する。同年12月21日、従五位下・肥前守に叙任する。享保14年(1729年)2月28日、初めてお国入りする許可を得る。

長男のの死後、後継者は三男の政信と定めていたが、その政信は明和8年(1771年)に自身に先立って死去する。このため、政信の子のを後継者として定めた。安永4年(1775年)2月16日、隠居し、嫡孫のが継いだ。その後、安永8年(1779年)に68歳で病死した。

明治天皇は誠信の来孫に当たる[1]

系譜

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads