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松浦信桯
江戸時代中期の旗本 ウィキペディアから
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松浦 信桯(まつら のぶきよ)は、江戸時代中期の旗本。小普請奉行、長崎奉行、大目付などを歴任した。
経歴
元文元年(1736年)松浦篤信の十一男として生まれた[1]。宝暦元年(1751年)12月7日徳川家重に御目見し[1]、宝暦10年(1760年)9月26日家督を継ぎ、宝暦11年(1761年)書院番、明和2年(1765年)3月11日進物役、明和3年(1766年)12月15日中奥番士、明和6年(1769年)11月24日目付となった[1]。安永5年(1776年)7月7日浜御殿で失火があった際過失により謹慎し、30日許された[1]。10月24日仙洞付となり、安永6年(1777年)1月3日従五位下越中守に叙任された[1]。
安永9年(1780年)6月17日新番頭、天明元年(1781年)4月26日小普請奉行[1]。天明5年(1785年)相次いで急死した土屋正延・戸田氏孟に代わり、7月24日急遽長崎奉行となり、唐人屋敷・伊良林郷・馬場郷で相次いだ火災の対応、三国丸の建造、長崎会所の改築、立山麓における武具庫の建設、唐人屋敷の外囲い拡大等を行った[2]。天明7年(1787年)3月12日大目付となり[2]、寛政2年(1790年)琉球使節応対に関わった[1]。
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親族
脚注
参考文献
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