トップQs
タイムライン
チャット
視点

三浦信由

ウィキペディアから

三浦信由
Remove ads

三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は、日本の陸上競技中距離走)選手。旧姓:松田[1]

概要 三浦 信由みうら のぶよし, 選手情報 ...

経歴

大分県宇佐郡院内村景平かげへら(現在の宇佐市院内町景平)出身[1]。陸上競技を行っていた3歳上の兄に刺激され、小学校5年生の時に陸上競技を始める[2]。院内町立竜東中学校3年生のとき、全国中学校放送陸上競技大会に出場し3000m競走で優勝[2]、大分県中学校駅伝会では宇佐郡チームの優勝に貢献[1][2]。駅伝の強豪であった大分県立四日市農業高等学校(現在の大分県立宇佐産業科学高等学校)に進学し[2]、1962年(昭和37年)には全国高等学校駅伝競走大会に大分県代表として出場した[2]

大分県陸上競技協会理事長であった池中康雄(東洋大学出身)の勧めで東洋大学に入学[2]東洋大学陸上競技部で、大学1年生の時より3000m障害を専門とした[2]。また、箱根駅伝には4回連続出場しており、区間2位が2回ある[2]

大学3年生の5月、競技中に靭帯断裂の大怪我を負うが再起を果たし[1][2]、翌年の第50回日本選手権3000m障害に出場[2]、当時日本記録保持者であった猿渡武嗣に阻まれたものの2位の成績を収める[2]

1966年、第5回アジア競技大会(バンコク)で銅メダルを獲得した[2]

1967年(昭和42年)、東洋大学を卒業し、東洋ベアリング(現在のNTN)に入社[2]。同年のユニバーシアード東京大会で3位[2]。日本選手権には第50回から56回まで7年間3位以内に連続入賞するなど、実業団でも活躍を続けた[2]

1968年メキシコシティーオリンピックの日本代表選手に選ばれ、3000m障害に出場したが、予選通過は果たせなかった[1][3](同大会には同社で1年後輩の鈴木従道も出場している)。

1970年、第6回アジア競技大会(バンコク)では優勝を果たした[2]

1973年(昭和48年)、29歳で競技を引退[2]

Remove ads

戦績・記録

箱根駅伝戦績

さらに見る 年, 大会 ...

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads