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三浦信由
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三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は、日本の陸上競技(中距離走)選手。旧姓:松田[1]。
経歴
大分県宇佐郡院内村
大分県陸上競技協会理事長であった池中康雄(東洋大学出身)の勧めで東洋大学に入学[2]。東洋大学陸上競技部で、大学1年生の時より3000m障害を専門とした[2]。また、箱根駅伝には4回連続出場しており、区間2位が2回ある[2]。
大学3年生の5月、競技中に靭帯断裂の大怪我を負うが再起を果たし[1][2]、翌年の第50回日本選手権3000m障害に出場[2]、当時日本記録保持者であった猿渡武嗣に阻まれたものの2位の成績を収める[2]。
1966年、第5回アジア競技大会(バンコク)で銅メダルを獲得した[2]。
1967年(昭和42年)、東洋大学を卒業し、東洋ベアリング(現在のNTN)に入社[2]。同年のユニバーシアード東京大会で3位[2]。日本選手権には第50回から56回まで7年間3位以内に連続入賞するなど、実業団でも活躍を続けた[2]。
1968年メキシコシティーオリンピックの日本代表選手に選ばれ、3000m障害に出場したが、予選通過は果たせなかった[1][3](同大会には同社で1年後輩の鈴木従道も出場している)。
1970年、第6回アジア競技大会(バンコク)では優勝を果たした[2]。
1973年(昭和48年)、29歳で競技を引退[2]。
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戦績・記録
箱根駅伝戦績
脚注
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