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全国高等学校駅伝競走大会
毎年12月に日本の京都府京都市で開催される高校駅伝大会 ウィキペディアから
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全国高等学校駅伝競走大会(ぜんこくこうとうがっこうえきでんきょうそうたいかい)は、毎年12月に京都府京都市で開催される駅伝大会である。全国高等学校体育連盟、日本陸上競技連盟、京都府、京都府教育委員会、京都市、京都市教育委員会、毎日新聞社主催。全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の1つにもなっている。
1950年に男子のみの大会として初めて開催され、女子の部は1989年から開催されるようになった。
現在の都大路(京都)が舞台となったのは1966年からで[1]、それまでは大阪府での開催であった(大阪時代の1962年と1963年は奈良県もコースに含まれていた時もあった[2])。
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概要
要約
視点
競技は女子の部が午前、男子の部が午後に行われる。
コース発着点となるのがたけびしスタジアム京都(西京極陸上競技場)[注 1](但し1983年、1984年は京都国体に伴う競技場の全面改修に伴い使用できなかったため、競技場近くの道路が発着地だった[3][4][5])。女子の部はマラソンの半分(ハーフマラソン)の21.0975kmを5人で、男子の部はフルマラソンと同じ42.195kmを7人で繋ぐ。
ともに最長は1区で、女子の部は平野神社前まで、男子の部は烏丸紫明まで走る。折返し地点は女子の部が烏丸鞍馬口の室町小学校前、男子の部は宝が池公園の国立京都国際会館前である。入賞は1992年の男子43回、女子4回大会まで10位以内、1993年の男子44回、女子5回大会から8位以内[6]。
特別協賛として、2009年大会から2015年大会まではナジック[注 2][7][注 3][注 4][注 5]が、2016年大会以降はSGホールディングスが起用されている。
2015年大会は開催地が京都に移転してから50年目となり、これを記念して鉢巻をモチーフにした公式ロゴマークが作成された[8]。
外国人留学生起用制限の経緯
1993年大会で仙台育英高校が男女各2人のケニア人留学生選手を起用してアベック優勝し、論議となった。それを受け、高体連では1995年から高校総体の留学生枠をチームの20%前後までと規制、高校駅伝においても外国人留学生選手のエントリーは2人まで、出場は1人のみとなった[9]。
その後、外国人留学生選手を擁する学校は、1区に留学生を起用するのが定石となった。男子の部での42.195kmのほぼ1/4を占める10km区間での日本人選手とのタイム差は、レースに与える影響が大きく、その差で最後までの勝負が決まってしまう場合もあった。近年大会での例を挙げると、2005年度の第56回大会と2006年度の第57回大会では、この区間に外国人留学生を配置した仙台育英高校(宮城)と世羅高校(広島)で優勝と準優勝を独占している。また、男子の部では2007年までの15年間、外国人留学生選手が1区の区間賞を獲得する状況が続いていた。この状況に対し2008年5月、高体連は女子を含む外国人留学生選手の起用について「1区を除く区間」とした規定に変更を行なった。これにより、2008年の第59回大会から外国人留学生の1区起用は禁止されることになった[10]。
外国人留学生の1区起用禁止後、これに次ぐ長い距離(男子は3区の8.1075km、女子は5区の5km)に起用するケースが多く見られ、外国人留学生の出来によって勝負を左右することがあったため、2024年の男子第75回・女子第36回より外国人留学生の出場が男子は2区か5区、女子は3区か4区のいずれも最短距離になる3kmの区間に制限されることになった[11][12]。
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代表校
要約
視点
例年10月中旬~11月中旬に開催される各都道府県の予選で優勝した47校に、地区代表として11地区(北海道・東北・北関東・南関東・北信越・東海・近畿・中国・四国・北九州・南九州)から11校の計58校によって行なわれる[13]。沖縄県が正式に参加するようになったのは1974年の第25回からである[14]。なお、第1回は山梨県が参加せず[15]、第30回大会は北海道[注 6]が出場を辞退している[16]。
地区代表
2024年の男子第75回・女子第36回大会より地区代表の出場が常設化されたが、2023年の女子第35回までは原則として5年ごとに行なわれる記念大会に限り地区代表が出場することが出来た[13]。この制度は1959年の男子第10回大会から始まった[17]。この10回大会は11地区に1代表ではなく、高校野球の選抜大会のように、地域水準を加味して、九州4、関東3、近畿、中国各2、東北、東海、北信越、四国各1の15校に配分したため、最多の61チームが参加した。このうち、広島県と兵庫県からは3校が出場した[17]。第15回大会からの記念大会(第25回を除く[注 7])では、現行の都道府県代表+地区代表11という制度が取られているため、同都道府県から3校が出場したのはこの10回大会だけである。
なお、節目となる大会においても記念大会と同様に地区代表の出場が可能になる場合があった。1965年の第16回大会は大阪での最後の開催となったため記念大会扱いとして行われた[19]。2015年の男子第66回、女子第27回は京都開催50年を記念し地区代表[注 8]に加え京都大会の準優勝校も出場するため59校出場する[8]。過去には記念大会の特別枠によって出場した学校が優勝した例もある(第10回・男子西条農(中国)、第40回・男子報徳学園(近畿)、第45回・男子西脇工(近畿))。
地区代表が出場する県においては、同じ県で1位・2位を独占することも可能になり、これまで第16回・男子の福岡大大濠・大牟田(福岡)、第40回・男子の報徳学園・西脇工(兵庫)が達成している[20]。このうち、第40回大会においては両校が1秒差での決着となった[21]。
各地区の代表選考については以下のような選考が行なわれる。
- 北海道地区
- 北海道大会の2位となった学校が地区代表となる。
- 北海道以外の地区
- 都府県大会での上位校によって争われる8つの地区大会(東北、関東、北信越、東海、近畿、中国、四国、九州)での成績のうち、都府県代表校を除いた上位校を地区代表として選考する[注 9]。関東及び九州では全国高校総体(インターハイ)の地区分け(北関東と南関東、および北九州と南九州の各地区)に準じて南北各1校、計2校を選考する。
オープン参加
過去には都道府県代表とは別に、アメリカ統治時代の沖縄や韓国の高校がオープン参加の形で出場したことがある。沖縄は1953年の第4回大会に北山が初めて出場した[22]。以降、沖縄は第5回(北山)、第9回(沖縄選抜)、第18回(宮古農林)がこの形で出場した[23]。また1972年の第23回大会では韓国の大聖が出場し、6番目にゴールした[24]。大聖は翌年の大会も出場し、4番目にゴールした[25]。韓国からは第26回(朝鮮大付属)[26]、第27回(春川農)が出場している[27]。
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女子コース
要約
視点
総合(5区間/21.0975 km)
- 総合記録については、外国籍の留学生選手が出走した場合は「高校国内国際最高記録」と呼ばれ、全選手が日本人で構成された記録は「高校最高記録」と呼ばれる。
以下、各区間の歴代10傑について、同一選手の同一区間における2番目以降の記録は順位としてカウントされないが、当該記録が歴代10傑に相当の場合は順位欄を「-」とし参考記録として記載。
1区(6.0km) 西京極⇒平野神社前
- 各区間のなかで最長。中間点の西大路四条から始まる上り坂は、残り1kmの西ノ京円町で激しさを増す。各校とも力があるランナーが走る。
2区(4.0975km) 平野神社前⇒烏丸鞍馬口
- 交差点を多く通る区間。金閣寺道、堀川北大路、堀川紫明、烏丸紫明と実に4ヶ所も通るのでそれだけ位置取りやカーブの回り方も重要視される。(男子の1区と6区もここを通る)
- 千本北大路から大徳寺西まで続く船岡山の大上り・大下りは男女共にかなりの負担となる。女子は行きがこの2区、帰りは4区の序盤。(男子は1区と6区が該当する)
3区(3.0km) 烏丸鞍馬口⇒室町小前(折り返し)⇒船岡山・北大路口
- 烏丸鞍馬口→(烏丸通)→室町小学校前(折り返し)→(烏丸通)→(紫明通)→(堀川通)→(北大路通)→第3中継所(船岡山・北大路口)
- 2区と同様に交差点を多く通る区間。烏丸紫明、堀川紫明、堀川北大路と実に3ヶ所も通るので2区同様に位置取りやカーブの回り方も重要視される。
4区(3.0km) 船岡山・北大路口⇒北野中前
- 船岡山・北大路口→(北大路通)→(西大路通)→第4中継所(北野中学前)
- スタートしてから紙屋川手前まで一気に上り坂だが、その後は一気に下り坂となる。風は北大路通では右から左に吹いているが西大路通に入ってからは左大文字からの追い風が吹いている。
- 女子での最大の勝負ポイントは区間の短い3・4区。ここに力のある選手を置けるチームは優勝への近道となる。
5区(5.0km) 北野中前⇒西京極
- 北野中学前→(西大路通)→(五条通)→西京極陸上競技場(ゴール)
- 最終区はスタートしてから西大路四条までの最初の2kmは下り坂だが、後はゴールの西京極まで平坦(男子7区と全くの同区間)。
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男子コース
要約
視点
総合(7区間/42.195 km)
- 第1回大会と第2回は6区間32kmで行われた。この時の距離配分は1区5km、2区5km、3区6.02km、4区5.98km、5区5km、6区5kmであった[29]。第3回大会から7区間42.195kmで行われるようになり、距離配分も現在と同じ1区10km、2区3km、3区8.1075km、4区8.0875km、5区3km、6区5km、7区5kmに改められた。10kmの区間を設けた一方で、普及を目標に400mの選手でも対応できるように3kmの区間を2つ設けたことが特徴であった[30]。
- 1966年の第17回大会から京都での開催となった。現在のコースになったのは1982年の第33回大会から。
- 総合記録については、外国籍の留学生選手が出走した場合は「高校国内国際最高記録」と呼ばれ、全選手が日本人で構成された記録は「高校最高記録」と呼ばれる。
以下、各区間の歴代10傑について、同一選手の同一区間における2番目以降の記録は順位としてカウントされないが、当該記録が歴代10傑に相当の場合は順位欄を「-」とし参考記録として記載。
1区(10km) 西京極⇒烏丸鞍馬口
- 西京極陸上競技場→(五条通)→(西大路通)→(北大路通)→(堀川通)→(紫明通)→(烏丸通)→第1中継所(烏丸鞍馬口)
- 女子同様に最長区間の1区。男女合わせた全12区間の中で最長の距離を走る。『花の1区』と言われる様に各校共にエースを送り込む所が見どころである。
- 前半は、わら天神前までの上り坂をどの様に攻略するのかがポイントとなる。7.5km付近の紙屋川過ぎまでは上り坂が続くが、その後の7.6km手前の千本北大路から中継所まで一気に下り坂となる。また、後半区間は金閣寺道、下り坂に入ってからも堀川北大路、堀川紫明、烏丸紫明と交差点を計4ヶ所も通るので、それだけ位置取りやカーブの回り方も重要視される(進行方向は逆だが、都道府県対抗女子駅伝のアンカー・第9区と同じコースを走る)。
- 男子・女子とも出場校が58校に増える5年に1度の記念大会ではトラックを走るスタート直後約500mは勿論、五条通に出るまでの区間では転倒に特に注意が必要となる。
- 大会規定の変更により、2008年からは1区に外国籍留学生選手を起用することが禁止されている(#外国人留学生起用制限の経緯参照)。5区の区間記録が2023年に更新されたことにより、留学生が出走可能だった当時に樹立された1区の区間記録が最も古い区間記録となる。
- 正月恒例の箱根駅伝では、この区間を経験した選手が活躍する場合も多い。
2区(3.0km) 烏丸鞍馬口⇒河原町丸太町
- 烏丸鞍馬口→(烏丸通)→(丸太町通)→第2中継所(河原町丸太町)
- 5区と並ぶ最短区間であるがチームの流れを決めるポジションであり、この区間に力のあるスピードランナーを起用するチームもある。
- コースのほとんどを京都御苑の周回道路で占める。
3区(8.1075km) 河原町丸太町⇒国際会館前(折り返し)
- 1区に次いで長い区間であり交差点を多く通る区間。前半は熊野神社前、百万遍、銀閣寺道の順に交差点を3度通るので、1区の後半同様に位置取りやカーブの回り方も重要視される。後半は叡山電鉄の跨線橋のアップダウンでの走り方にも注意が必要。
- 全体的に登りが多い区間でもある。
- 白川通りは北上するので風は例年だと比叡山からの向かい風となるが、異常に強くなると、高校生ランナーには計り知れない負担となる。
- 2008年に外国人留学生の1区起用が禁止されてから、2023年大会をもって3km区間(2区および5区)以外への外国人留学生の起用が禁止されるまではこの3区に留学生を起用することが定石となっていた。
- 2008年以前においても、2004年大会に当時の大会記録を樹立した仙台育英学園高等学校が日本人エースの佐藤秀和を1区、ケニア人留学生のサムエル・ワンジルを3区に起用したように、高校生ランナーへの負担などを考慮して1区ではなく3区に留学生をあえて起用させることも少なくなかった。また、外国人留学生を擁しない学校がエースを3区に起用することもある(2008年大会での佐久長聖高等学校の村澤明伸、2021年大会での洛南高等学校の佐藤圭汰など)。
4区(8.0875km) 国際会館前(折り返し)⇒寺町丸太町
- 国際会館前→(宝ヶ池通)→(白川通)→(今出川通)→(東大路通)→(丸太町通)→第4中継所(寺町丸太町)
- 3区をほぼ逆走する区間。したがって白川通りは南下となる。風は例年だと追い風となるので、この風をいかにして味方につけるかがポイント。
- 全体的に下りが多い。
5区(3.0km) 寺町丸太町⇒烏丸紫明
- 寺町丸太町→(丸太町通)→(烏丸通)→第5中継所(烏丸紫明)
- 2区の逆走区間。烏丸丸太町からは北上する為に北山からの向かい風が強く吹くことも。
- 3区の比叡颪同様に、烏丸丸太町から始まる当区の北山颪も風の吹き方が毎年変わる。2区と同様の最短区間であり、後半に位置するためチーム7番目の選手が配されることが多く、選手層の厚さがこの区間の順位を左右する。
- 2024年度大会(第75回大会)より、留学生の出走が3km区間に限定されたことで、後半の最重要区間になることが予想される。
6区(5.0km) 烏丸紫明⇒北野中前
- 烏丸紫明→(烏丸通)→(紫明通)→(堀川通)→(北大路通)→(西大路通)→第6中継所(北野中学前)
- おおむね女子の3区と4区を合わせた区間。中間点手前までは上り坂が続き、それ以降は中継所まで下り坂が続く。最後の7区へ向けて後続に対してどれだけの差を開くことが出来るかがポイント。
7区(5.0km) 北野中前⇒西京極
- 北野中学前→(西大路通)→(五条通)→西京極陸上競技場
- 女子の5区とまったく同じ区間。
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優勝校
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優勝回数
男子・高校別
- 高校名は現在の校名で統一
男子・都道府県別
女子・高校別
- 高校名は現在の校名で統一
女子・都道府県別
男女合計・都道府県別
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男女同時優勝
- 1993年:仙台育英(男女ともに初優勝)
- 2015年:世羅
- 2019年:仙台育英
- 2020年:世羅
男女同都道府県優勝
- 1991年:福岡(男子:大牟田、女子:筑紫女学園)
- 1993年:宮城(男女ともに仙台育英)
- 2015年:広島(男女ともに世羅)
- 2019年:宮城(男女ともに仙台育英)
- 2020年:広島(男女ともに世羅)
- 2024年:長野(男子:佐久長聖、女子:長野東)
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中継放送
NHKが中継放送している。原則として大阪放送局のアナウンサー(2017年度の例として、太田雅英(女子、テレビ)、鏡和臣(名古屋局より派遣、同、ラジオ)、豊原謙二郎(男子、テレビ)、酒井博司(同、ラジオ))が実況を担当する。
解説は全国都道府県駅伝大会と同様に金哲彦、宗茂、その後は尾方剛らが並行して務めた時期が長く、本大会経験者で指導者となっている人物が多い。
テレビ中継では、首位のランナーの到着時に、タイム表示のテロップで計時協力企業のロゴ(2021年の時点ではシチズン時計)を表示することがあるが、放送法の「宣伝・広告の禁止」への抵触扱いとはなっていない。
- テレビ
- 総合テレビ
- 女子 10:05-11:54 男子 12:15-(14:50 不定)
- ラジオ
- ラジオ第1放送
- 女子 10:05-11:54 男子 12:15-(15:00 不定)
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関連項目
- 全国高等学校駅伝競走大会の記録一覧
- 天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会
- 皇后盃全国都道府県対抗女子駅伝競走大会 - 同じく京都市内で開催され、男子と同じコースを走る(区割りは異なる)。
- 京都マラソン
- 毎日マラソン(現・大阪マラソン・びわ湖毎日マラソン統合大会) - 大阪で開催されていた時代、大人のマラソン選手1人と7人の高校生がリレーする駅伝を比較しようとする発想から同じコースで行われていたことがあった[35]。
脚注
参考書籍
外部リンク
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