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染谷悠太
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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染谷 悠太(そめや ゆうた、1986年9月30日 - )は、東京都江東区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。
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来歴
7歳(小学2年生)の時にサッカーを始め[1]、後にFC東京の下部組織でプレー。同期には伊賀貴一、福田建、宮崎智彦らがいる。
2005年、流通経済大学に進学。センターバックとして評価を高めた[2]。大学の1期先輩で、FC東京U-15以来のチームメートである鎌田次郎からは「ディフェンスラインのどこでもしっかり体を張った守備ができるし、ボールを取ってからもいいパスを出せる選手」と[3]、ユーティリティー性とビルドアップを長所に挙げられている。
2009年に大学を卒業し、京都サンガF.C.に加入[4][5]。3月22日のJ1第3節G大阪戦で左サイドバックとしてフル出場し、プロデビューを果たす。同年4月のJ1第6節浦和戦で、早くも公式戦450分出場を達成(5試合すべてフル出場)し京都とA契約を締結した[6]。6月、J1第15節広島戦でプロ初得点。その後は右サイドでも起用され左右ともにこなせるサイドバックとして重宝された。2010年にかけてはボランチとして出場機会を得ている。2012年からは本来のセンターバックとしてレギュラーに定着。巧みなボール捌きと対人の強さを発揮した[7]。2013年のJ1昇格プレーオフでは、準決勝長崎戦で両チーム最多のボール奪取を記録し決勝進出に貢献するも[8]、負傷により決勝戦を欠場[9]。染谷を欠いた京都は失点を重ねJ1昇格を逃した。
2014年、セレッソ大阪へ完全移籍[10][11]。開幕からDF陣のバックアッパーとしてベンチ入りを続け、藤本康太が負傷欠場したシーズン終盤にかけて先発を勝ち取った。守備では強さを見せたものの、チームの不振もあって安定を欠いた[12]。2015年は自己最多となるリーグ戦36試合に出場し、正確なフィードやビルドアップでチームに貢献した[13][14]。
クラブからの慰留を固辞し[15]、2016年より古巣京都へ復帰[16][17]。
2022年10月30日、同シーズン限りで現役を引退することが発表された[19]。
2022年12月20日、来シーズンからの柏レイソルのアカデミーコーチに就任することが発表された。
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所属クラブ
個人成績
- その他の公式戦
- 2012年
- J1昇格プレーオフ 1試合0得点
- 2013年
- J1昇格プレーオフ 1試合0得点
- 出場歴
代表歴
- 2001年 U-15日本代表候補[21]
- 2002年 U-16日本代表[4] - 北海道国際ユースサッカー大会[22]
タイトル
クラブ
- 柏レイソル
指導歴
- 2023年 -
柏レイソル
- 2023年 U-18 コーチ
- 2024年 - トップチーム コーチ
脚注
関連項目
外部リンク
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