トップQs
タイムライン
チャット
視点

宮崎智彦

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

Remove ads

宮崎 智彦(みやざき ともひこ、1986年11月21日 - )は、東京都西東京市出身のサッカー選手ポジションディフェンダー(左サイドバック)[3]又はミッドフィールダー左ウイングバック[4]左サイドハーフ[5]ボランチ[6])。J3リーグ福島ユナイテッドFC所属。

概要 宮崎 智彦, 名前 ...
Remove ads

来歴

5歳からサッカーを始める[2]。高校時代はFC東京U-18に所属[2]。同期には染谷悠太、福田建らがいた。

2005年流通経済大学へ進学。精度の高いクロス、1対1に強い守備を武器に1年からレギュラーに定着し[7]、2度の関東大学リーグ、1度の総理大臣杯優勝に貢献[2]。関東大学リーグでは藤井賢心(東京農業大学)と共に4年間で最も出場が多かった選手として表彰された[8][リンク切れ]。「大学No.1左サイドバック」として[9]古巣のFC東京を始め複数チームから獲得オファーを受けた[7]

2008年9月、「レギュラーを獲るのが一番難しいクラブ」ということから、翌2009年鹿島アントラーズ入団を決めた[3]2010年のJ1第20節C大阪戦で先発出場し[10]プロデビューするも[10]レギュラー奪取には至らなかった。

2011年横浜FC期限付き移籍[11]。MF野崎陽介と左サイドで好連携を築き、DFながら攻撃面でも貢献[12][1]J2第4節北九州戦でJリーグでの初得点を挙げた。

2012年にはジュビロ磐田期限付き移籍[13][14]。負傷離脱した時期もあったが、果敢な攻撃参加を武器に左SBのレギュラーを確保した[15]2013年より磐田へ完全移籍[16][17]。シーズン序盤は3バックの新布陣に適合しきれず[4]出場機会を減らすも[18]、4バックに立ち返って以降は山本脩斗らとのポジション争い[19]を制した。シーズン終盤は内転筋を痛め欠場し、宮崎不在の間にチームはJ2降格を喫した[20]

2014年はSB及びWBで先発出場を続けていたが、同年9月に就任した名波浩監督によって「中学以来」と語る[21]ボランチに配され[6]第35節からフル出場。2015年もボランチを定位置とし、巧みな配球と位置取りで味方を活かす攻守の要として[22]活躍を続けた。勝てばJ1昇格が決まる大分トリニータ戦では、後半45分に同点にされた直後に自陣のゴールからボールをかき出し、センターサークルへ置いた。それを見て気合を入れ直した小林祐希がすぐに決勝ゴールを奪った[23]。その宮崎の行動は、監督の名波浩が試合終了後のロッカールームで褒めているシーンが『ジュビロTVプラス』で流れている。

ボランチでの出場も多くなり、2016年はMF登録となった。2月25日に一般女性と入籍[24]

2020年12月15日、契約満了により9年間在籍した磐田を退団する事が発表された[25]

無所属の期間を経て2021年4月29日、ファジアーノ岡山に加入したことを発表された[26]。 2022年10月12日、契約満了を発表[27]。また、同年12月23日には福島ユナイテッドFCに完全移籍することが発表された[28]

Remove ads

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
さらに見る 国際大会個人成績, 年度 ...

その他の公式戦

出場歴

代表・選抜歴

  • 2008年 - 全日本大学選抜

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads