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柴田康長

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柴田 康長(しばた やすなが)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将旗本寄合柴田七九郎康忠の子。通称、父と同じ七九郎を継ぐ。官位従五位下筑後守

概要 凡例柴田康長, 時代 ...

略歴

父の康忠が数えで50歳の時の息子である。

慶長5年(1600年第二次上田合戦では本多正信隊に属して従軍。慶長9年(1604年)、火の番頭となる。文禄2年(1593年)に父・康忠が没し、慶長18年(1613年)家臣の不祥事により改易となり、下野国足利に住む。しかし、大坂の陣に従軍し、伊達政宗隊に属した。

元和9年(1623年)に赦され、寛永元年(1624年)、武蔵国大谷領(現・上尾市さいたま市北区)3000石を賜り、向山村(現・上尾市向山・向山神明社境内付近)に陣屋を置く。翌年徒頭となり、寛永3年(1626年)書院組頭となる。寛永10年(1633年上総国長柄郡において700石加増される。同年小姓組番頭となり、寛永13年(1636年)、書院番頭となるも領地にて没する。墓所は今泉村(現・上尾市)の十連寺。

その後、康久康利と続き、元禄11年(1698年康利の代に丹波国に移封された。

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参考文献

  • 新訂寛政重修諸家譜巻第三百七十一
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