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栗原俊夫
日本の政治家 ウィキペディアから
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栗原 俊夫(くりはら[1][2]/くりばら[3][4][5] としお、1909年〈明治42年〉5月8日[1][4][5] - 1989年〈平成元年〉1月30日[5][2])は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)、群馬県議会議員(2期)、群馬県多野郡小野村長。日本社会党所属。囲碁4段、将棋3段、柔道3段[4]。妻は1932年のロサンゼルスオリンピックに陸上競技80メートルハードルで出場した中西みち[5]。
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経歴
1909年(明治42年)、群馬県多野郡小野村(現・藤岡市)の農家に、栗原徳次郎・タカの長男として生まれる[3][1][5]。群馬県立藤岡中学校、旧制静岡高等学校を経て1932年(昭和7年)京都帝国大学法学部を卒業[3][4][5]。
一時天龍・大ノ里の新興力士団に勤め[5]、その後大阪時事新報社に入社し経済記者として活動した[1]。1944年(昭和19年)に疎開帰郷し[1]、戦後に小野村農業会専務理事、さらに組合長を務めた[5]。
1947年(昭和22年)4月に小野村長に当選、1949年(昭和24年)8月まで務める[3][1]。1947年(昭和22年)4月に群馬県議会議員にも当選、1955年(昭和30年)1月まで2期在任した[3][5]。1955年第27回衆議院議員総選挙に日本社会党から立候補、当選を果たす[3][1][5]。以後4期務める[3][4][5][2]。1967年(昭和42年)の第31回衆議院議員総選挙では次点で落選。
1968年(昭和43年)と1972年(昭和47年)の群馬県知事選挙にも出馬したが[1]現職の神田坤六に敗れている。
1974年(昭和49年)第10回参議院議員通常選挙に出馬、当選[1][4][5]。1期務め、参議院逓信委員長を経験[1][5]。
産業振興審議会委員[要出典]、日本社会党中央執行委員[3][5]、全日本農民組合連合会副会長[4]、全国日中友好協会副会長[1][4][2]などを歴任した。
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脚注
関連項目
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