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栗原洋一
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栗原 洋一(くりはら よういち、1955年1月20日 - )は、東京都出身の元騎手・現調教助手。
来歴
要約
視点
1974年に東京・八木沢勝美厩舎からデビューし、3月3日の中山第2競走4歳未勝利・ナカミベル(14頭中10着)で初騎乗[1] [2]を果たす。10月6日の中山第8競走4歳以上500万下・アルフで初勝利[1] [3]を挙げたが、1年目の同年はこの1勝に終わる[4]。
2年目の1975年は0勝[4]に終わり、3年目の1976年には8月15日の新潟第4競走4歳未勝利・メジロアバシリで1年8ヶ月ぶりの勝利[5]を挙げるが、1勝に終わる[4]。
1977年には8月14日の新潟第4競走障害4歳以上未勝利・モリムサシで障害初勝利[5]を挙げ、1978年には2月19日の東京で初の1日2勝[5]を記録するなど9勝[4]をマークしたが、その後も2桁勝利を挙げることはなかったため、1978年の9勝が自己最多となった[4]。
1978年にはメジロレブンで東京障害特別(秋)2着、中山大障害(秋)ではバローネターフの3着に入った[6]。
1980年にはナカミショウグンで東京障害特別(春)を制して自身唯一の重賞勝利[1] [7]を挙げたほか、同年春の中山大障害を制していた栃木・鍋掛牧場生産馬のオキノサコンでは東京障害特別(秋)・中山大障害(秋)3着であった[8]。
1981年からはフリーとなったが、1985年には再び八木沢厩舎に所属し、1988年の東京障害特別(秋)ではスズジャクソンで3着に入った[9]。
1992年2月15日の東京第8競走4歳以上500万下・カントリーアイが最後の平地勝利[10]を挙げ、1995年には八木沢の引退[11]で再びフリーとなり、1996年には6年ぶりの重賞騎乗となった東京障害特別(秋)・サンリバシャープで5着に入った[12]。
1998年には同年初騎乗[13]となった1月10日の中山第5競走障害4歳以上未勝利・リンガスグローリーで通算100勝[14]を達成すると、3月2日の中山第5競走障害4歳以上未勝利では断然人気のヒゼンウタヒメが中止したレースを13頭中11番人気のキタノガリバーで勝利して枠連・馬連万馬券の波乱を起こし[15]、5月29日から6月30日までは嘉堂信雄・小島貞博・成田均と共に海外研修でフランス・イギリス・アイルランドの3ヶ国を訪問[16]。
1999年には1月6日の中山第5競走障害4歳以上未勝利で障害転向初戦のゴーカイに騎乗し[17]、第1回東京オータムジャンプでは星野忍厩舎のエムジースナイパーでゴーカイの5着[18]に入った。
2000年には4月2日の中山第5競走障害4歳以上未勝利・ストークブライアンが最後の勝利[19]を挙げ、中山で行われた新潟ジャンプステークスではトキオエクセレントで逃げて4着に入った[20]。
2001年1月29日の東京第5競走障害4歳以上未勝利・ダイワスパンキー(13頭中9着)が最後の騎乗[20]となり、同31日付で現役を引退[1]。
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騎手成績
- 主な騎乗馬
- ナカミショウグン(1980年東京障害特別 (春))
脚注
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