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栗原百寿

日本の農学者 ウィキペディアから

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栗原 百寿(くりはら はくじゅ、1910年12月26日 - 1955年5月24日[1])は、日本の農業経済学者茨城県東茨城郡石塚町(現在の城里町)出身。

生涯

医者の長男として生まれ、家業を継ぐために水戸中学校から水戸高等学校へ進む[1]。1931年に同校理科乙類を卒業する[1]が、医学部へは進まず、東北帝国大学法文学部に進学する[2][3]。大学時代は歴史哲学を学び、宇野弘蔵新明正道らの講義を聴講していた。卒業論文は「ジョン・スチュアート・ミルの思想史的研究」[1]。1937年に大学を卒業[4]、直後に人民戦線事件検挙される。

1939年、帝国農会へ就職する[1]が、1942年12月に再び治安維持法違反容疑で逮捕される[1]。戦後は農林省統計調査局調査室嘱託などを経て、1953年に拓殖大学政経学部教授となる[1]

マルクス経済学の視点から、日本の農業問題の分析を進め、「栗原理論」と称される独自の理論を構築した。

1952年 、「日本農業の基礎構造」により東北大学から経済学博士の学位を授与される[5]

福島大学教授経済史家の栗原るみは娘。

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著書

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参考文献

  • 大島清; 松井保男 編『栗原百寿:その人と憶い出』栗原百寿追憶文集刊行会、1966年。 NCID BN13485462https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2985548
  • 西田美昭森武麿栗原るみ編『栗原百寿 農業理論の射程』(八朔社、1990年)

脚注

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