トップQs
タイムライン
チャット
視点

根井行親

?-1184?, 平安時代末期の武将 ウィキペディアから

根井行親
Remove ads

根井 行親(ねのい ゆきちか)は、平安時代末期の武将源義仲の家臣で、俗に言う義仲四天王の1人。

概要 凡例根井行親, 時代 ...

行親の生まれた望月氏滋野氏の庶流。滋野氏嫡流の海野幸親(滋野行親)と同一人物とする説もある。

保元元年(1156年)の保元の乱では源義朝に従い、活躍したという。

治承4年(1180年信濃国小県郡丸子の依田城で挙兵して以後、義仲に従い各地に転戦、養和元年(1181年)9月水津の合戦平通盛経正らを破る。

元暦元年(1184年)の宇治川の戦いでは、義仲の命を受け、子・楯親忠源義広らと共に300余騎で宇治の防衛に当たったが[1]、2万5千騎の源義経軍を防ぎきれず宇治川を突破された。この際、一族の武将らに前後して敗死したとされている。この戦いでは先陣を焦った頼朝方の武将畠山重忠の馬(磨墨)を射たという。

同年1月26日、義仲や今井兼平高梨忠直らと共に東洞院の北にある獄門の木に梟首された[2]

長野県佐久市には、行親の供養塔と伝わる多層塔が現存する[3]

Remove ads

脚注

出典

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads