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梶田興治
日本のテレビプロデューサー ウィキペディアから
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梶田 興治(かじた こうじ[3]、1923年〈大正12年〉[3]10月7日[4] - 2013年〈平成25年〉[5]8月18日[4])は、日本の映画助監督、テレビ映画監督、テレビプロデューサー[6]。ペンネームは谷こうじ、池すすむ[1]、由起こうじ[2]。
経歴
東京都出身[3]。1945年(昭和20年)に東宝に入社[6][5][注釈 1]。翻訳部門を経て助監督となる[6]。演出部で本多猪四郎のチーフ助監督を長く務め[3][7][注釈 2]、円谷特技プロダクション(後の円谷プロダクション)へ出向[注釈 3]、同社初のテレビシリーズとして勢作された『ウルトラQ』の監督として活躍[6][7][5]。その後東宝に戻りテレビ部のプロデューサーとして活躍[3]。
2013年8月18日、病のために死去[8]。89歳没。
人物・エピソード
本多猪四郎とは『牧師三四郎』という映画で組む予定であったが企画自体が流れてしまい、本多から「次が決まったら頼む」と言われ実際に組んだのが『ゴジラ』(1954年版)であった[6]。本多は、梶田について完璧主義であり、映像に対して真剣に取り組んでいたと評している[9]。
『ゴジラ』の制作時は怪獣映画の認知度は低く、銀座のロケハンでどのビルを壊すか相談していたため不審者にみられたり、ゴジラが出現するシーンのエキストラ撮影では山の上からゴジラが顔を出すと説明しても笑われてしまったりなど苦労が多かったという[6]。
『キングコング対ゴジラ』(1962年)では、撮影中に負傷した本多に代わり、一部のシーンを撮影した[5]。
第二次世界大戦中は、陸軍飛行部隊所属であったが、『ウルトラQ』第27話「206便消滅す」では、劇中にゼロ戦のミニチュアを登場させている。
梶田がチーフ助監督の時代にその下についた谷清次によれば、梶田は軍属経験があるため考え方も軍隊式で、絶対に逆らうことはできなかったという[10]。
俳優の加藤茂雄は、助監督時代の梶田は役者の演技に指示を出すようなことはなく、他の助監督のように俳優たちの間に入って交流するようなことはなかったと証言している[11]。
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代表作
映画
テレビ
作詞
DVD出演
- キングコング対ゴジラ 音声特典オーディオコメンタリー(2001年)
- 海底軍艦 音声特典オーディオコメンタリー(2003年)
脚注
参考文献
外部リンク
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