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棚原良
日本のハンドボール選手 (1987-) ウィキペディアから
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棚原 良(たなはら りょう、1987年8月3日 - )は、沖縄県浦添市出身の元プロハンドボール選手。
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経歴
当山小学校、浦西中学校、興南高等学校、日本体育大学卒。8歳上の兄の影響と東長濱秀希、石川出に勧誘され小学校2年時にハンドボールを始める。小学校、中学校時代にはそれぞれ全国優勝を経験。興南高校時代は東長濱秀希とともにチームのエースとして活躍し、1年時から主戦力として高校総体優勝。3年時には高校選抜(3連覇)、高校総体、国体の3冠を達成している[1]。日本体育大学では1年時から主戦力として活躍し、2年時の春、秋リーグは得点王に輝く。秋リーグでは1試合20得点を含む102点の歴代最高得点を叩き出した。全日本インカレでは4年連続優勝し、小・中・高・大すべてで全国優勝した。
学生最後の年、両肩関節と右膝全十字靭帯損傷、半月板損傷の手術を行い、約1年実戦から離れることになる。
2010年、卒業後ヨーロッパに行く予定だったが怪我の為、断念。憧れである姜在源、白元喆の影響で大同特殊鋼に入団。その年の国民体育大会で怪我から復帰し、実業団選手として初の日本一を達成。
2011-2012シーズンには日本ハンドボールリーグ優勝。その年の東アジアクラブ選手権では準優勝でベスト7を獲得。2012-2013シーズンには日本ハンドボールリーグ2連覇を達成。2013年11月13日に退団した。
2013年11月21日に琉球コラソンへ加入[2]。2014-15シーズンにはMVP・得点王・ベスト7を含む日本人初の個人5冠を達成。琉球コラソン創設初のプレーオフ進出に大きく貢献した。2015-2016シーズンには2年連続MVPなど個人4冠を達成。2016年には海外挑戦のため退団し[1]、数か国のトライアウトに参加するも、ビザの問題等で契約できず帰国[3]。
2017年10月11日に古巣の琉球コラソンへ復帰することが発表された[4]。
2018年9月に海外挑戦のため退団[3]。同年はポルトガルのスポルティング・クルーベ・ダ・ホルタへ移籍。
2020年シーズン途中で琉球コラソンを引退する意向で退団。退団を発表した後、大崎電気からオファーを受けリーグ途中で大崎電気に入団した。
2021年に大崎電気を退団し、第一線から退いた。
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詳細情報
年度別成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル・表彰
日本ハンドボールリーグ
- 最優秀選手賞:2回 (2014年・2015年)
- ベストセブン賞:2回 (2014年・2015年)
- 得点王:2回 (2014年・2015年)
- フィールド得点賞:1回 (2014年)
- 7mスロー得点賞:2回 (2014年・2015年)
記録
日本ハンドボールリーグ
背番号
- 2 (2010年 - 2013年)
- 1 (2013年 - 2016年、2017年 - 2018年、2019年 - )
- 6 (2020年 - )
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代表歴
日本代表
日本代表U-24
- 世界男子学生選手権大会 (2006年・2008年)
日本代表U-21
- ジュニアアジア選手権 (2004年・2006年)
日本代表U-19
- アジアユース選手権 (2005年)
脚注
外部リンク
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