トップQs
タイムライン
チャット
視点

森川一二三

青森県出身の元騎手 ウィキペディアから

Remove ads

森川 一二三(もりかわ ひふみ、1954年1月13日 - )は、青森県出身の元騎手地方新潟北海道所属)。

概要 森川一二三, 基本情報 ...

経歴

要約
視点

東北町立上北中学校出身[1]

1970年11月7日三条第10競走・イスズキング(8頭中5着)で初騎乗を果たし、同27日の三条第1競走(7頭立て)・コダマチカラで初勝利を挙げる[2] [1]

森川を取材した競馬評論家の渡辺敬一郎曰く、森川は「照れ屋でナーバス、悪だくみなどと何の縁もなさそうな、いい男」[3]であったが、昭和30年代馬主であった暴力団関係者との付き合いで、何度も八百長を強制されたこともあった[4]。騎手という人気のある職業柄、キャバレー座敷などに招待され、その内に八百長をほのめかされる[5]。関係者の男は自分の馬が人気になったら、森川を乗せて手綱を抑えることにするため、少頭数のレースで森川の騎乗馬が消えれば、連勝馬券はかなり限られてくるため、男が大勝負をした[5]。それで開催委員にも睨まれ、ついには警察にマークされた。森川も随分逃げまくったが、あるレースでとうとう実行してしまい、すぐに発覚して警察に追われた。そのレースは男から「3着に落ちろ」と命令されたが、馬が強くて2着に抑えるのが精一杯であった[5]。これで男の怒りをかい、男の子分たちに追われるようになった。地方の温泉宿でも夜中に渓流の音で目が覚めて跳び起きる[5]など恐怖に怯え、ついに観念して、警察に出頭[6]。以後の裁判で幸運にも執行猶予がつき、厩務員として働き、性来の真面目さが評価され、再度騎手に返り咲く[6]

復帰後は渡辺正治向山牧榎伸彦酒井忍山田信大と熾烈なリーディング争いを毎年繰り広げ、1996年には116勝を記録してリーディングジョッキーを獲得[7]するなど、信頼性抜群のいぶし銀として活躍[8]

1974年12月13日新潟・アラ3才ヘで10頭中8番人気のリアールに騎乗して勝利し、2着に7番人気ニューキングが入り、枠連104,050円は県競馬が廃止するまで破られなかった[9]

1986年東北優駿ではダイスプリンターで岩手トウケイフリートを破り[10]1988年にはツカサアコードで新潟皐月賞[11]・新潟ダービー[12]・東北ダービー[13]を制覇。

1987年1990年には『韓日ジョッキーカップ』、1992年1994年・1996年・1997年には『ニイガタジョッキーカップ』と韓国の騎手交流競走に6度出場[14]し、県競馬が韓国騎手を招待して行われた『日韓チャレンジカップ』では1993年に優勝[15]

1993年にはヘイセイヒメで北日本オークス[16]、1994年にはダービーアールで新潟グランプリ[17]を制す。

森川は取材に来た渡辺に「いつかは中央競馬で」と目を輝かせていたが[3]1995年8月19日の新潟(中央)第10競走ダリア賞・ハイフレンドムーンで中央初騎乗を果たし、地方勢では岩手のサカモトデュラブに次ぐと同時に中央2頭に先着するなど7頭中4着[18]と健闘。

同年から開始されたJRA認定競走「登竜門」[19]ではハイフレンドムーン[20]のほか、後に福島3歳ステークス4着[21]となるキッポーリックで勝利し[22]、暮れには青山記念をハギノカムイオー産駒フリーダムワールド[23]で制す。

1996年からは中央から移籍してきたヤングノーブル[24]、中央未出走で移籍してきたロバリーハート[25]主戦騎手を務める。ロバリーハートでは重賞勝ち前に向山に交代しているが、デビューから手綱を取り、森川とのコンビでは9連勝を記録[25]。ヤングノーブルでは1996年の日本海シーサイドカップ、1997年には三条記念・朱鷺大賞典を制し、1996年の東北サラブレッド大賞典ではクビ差2着と堅実に走った[26]

1999年にはトニービン産駒ミスズトニーオーで新潟グランプリを制し[26]、向山のグランプリ5連覇を阻止[27]

2001年にはヒシマサル産駒ヤングルーラーで新潟皐月賞を5馬身差圧勝[28]の一冠目、ストロングゲイルで銀蹄賞を完勝[28]でのアラブ古馬ナンバーワンに導く[26]12月31日の新潟第7競走一般B3ハ・セイワマーブル[29]が県競馬での最後の勝利となり、県競馬最後の日となった2002年1月4日は新潟第2競走3歳B1・グレートアビリティで9頭中2着[30]となるが、第3競走以降は雪で開催中止になったため、最後の騎乗となった[31] [32]

廃止後は道営・成田春男厩舎に移籍し[1]4月10日門別第3競走3歳未勝利・スマイルマーク(12頭中4着)[33]が移籍後初騎乗を果たす[32]翌11日の第2競走3歳未勝利・オンユアスポート[34]で移籍後初勝利[35]を挙げるが、同年限りで現役を引退[36] [32]

同年6月26日旭川第5競走3歳オープン・ナイトロクイーン[37]が最後の勝利、7月4日の旭川第10競走池田町長杯十勝ワイン特別・ノーザンウェーで2000年ジャパンダートダービー3着馬タキノスペシャルの2着[38]に入ったのが最後の騎乗となった[36] [32]

引退後は北海道沙流郡日高町西山牧場[39]育成センター場長を務め、ニシノブルームーンの育成、休養を支えた[40]。60歳を過ぎた現在も元気に騎乗している[41]

Remove ads

通算成績

  • 地方 - 12382戦1741勝 勝率14.1% 連対率28.3%
  • 中央 - 14戦0勝

主な騎乗馬

  • ダイスプリンター(1986年新潟皐月賞・東北優駿・新潟グランプリ)
  • スピードペガサス(1987年新潟記念)
  • ツカサアコード(1988年新潟皐月賞・新潟ダービー・東北優駿)
  • オールダッシュ(1988年豊栄記念)
  • カスミリユウ(1989年銀嶺賞、1990年砂山賞)
  • テユーダーソブリン(1990年新潟ダービー)
  • マリナデルレイ(1992年若草賞・新潟皐月賞)
  • ヘイセイヒメ(1993年新潟皐月賞・北日本オークス)
  • ピュアボーイ(1994年新潟卯月賞・東北アラブダービー、1995年新潟アラブ大賞典)
  • ダービーアール(1994年新潟グランプリ、1995年豊栄記念、1997年迎春賞)
  • クリスタルブラボー(1994年若草賞)
  • ツカサエスパーダー(1995年新潟皐月賞)
  • フリーダムワールド(1995年青山記念)
  • ヤングノーブル(1996年日本海シーサイドカップ、1997年朱鷺大賞典・三条記念)
  • ラブリーフレンド(1997年砂山賞)
  • ファルコンボーイ(1998年新潟卯月賞・銀嶺賞、1999年新潟アラブ大賞典)
  • ミスズトニーオー(1999年新潟グランプリ)
  • ハイテンションパル(2000年若草賞)
  • ヤングルーラー(2001年新潟皐月賞)
  • ストロングゲイル(2001年銀蹄賞)
その他
Remove ads

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads