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森本確也
農業、実業家、政治家 ウィキペディアから
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森本 確也(もりもと かくや、1862年5月11日(文久2年4月13日[1])- 1927年(昭和2年)2月10日[2][3])は、明治から大正期の地主、農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。号・得堂[4]。
経歴
志摩国英虞郡、のちの三重県[2]志摩郡[3]鵜方村[5](鵜方町、阿児町を経て現志摩市阿児町鵜方)で、大地主[4]・森本佐左衛門、なつ の長男として生まれる[1]。1877年(明治10年)三重県師範学校を卒業[2][3]。さらに同人社英学科及び漢学科を卒業し[2][3][4][5]、専修学校(現専修大学)で経済学を学んだ[2][3][5]。帰郷して、しばらく著作業に従事した[4]。
1891年(明治24年)3月、家督を相続[1]して農業を営み[2]、三重県会議員に選出され、同常置委員も務めた[2][3][4][5]。また、三重県農工銀行取締役、同頭取、三重銀行[注釈 1]取締役、津商業会議所特別議員などに在任した[1][4]。
1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙の三重県第5区(立憲改進党所属)で当選し[4][6]、その後、第8回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算5期在任した[2][3][5]。
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国政選挙歴
- 第3回衆議院議員総選挙(三重県第5区、1894年3月、立憲改進党)当選[6]
- 第4回衆議院議員総選挙(三重県第5区、1894年9月、立憲改進党)当選[7]
- 第5回衆議院議員総選挙(三重県第5区、1898年3月、進歩党)当選[7]
- 第6回衆議院議員総選挙(三重県第5区、1898年8月、憲政本党)当選[7]
- 第8回衆議院議員総選挙(三重県郡部、1903年3月、無所属)当選[8]
著作
- 『政党論』森本確也、1892年。
- 編著
- 『本邦歴史』石川治兵衛、1886年。
- 訳書
- アレキサンダー・ベイン著、谷本富共訳『心身相関之理』大倉書店、1987年。
脚注
参考文献
外部リンク
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