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森重文

日本の数学者 ウィキペディアから

森重文
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森 重文(もり しげふみ、1951年昭和26年〉2月23日[1] - )は、日本数学者代数幾何学)。文化功労者文化勲章受章者。学位は、理学博士京都大学・1978年)(学位論文『The endomorphism rings of some abelian varieties〈幾つかのアーベル多様体の自己準同型環〉[3]』)。京都大学名誉教授日本学士院会員。

概要 もり しげふみ森 重文, 生誕 ...
概要 フィールズ賞受賞者 ...

京都大学理学部助手ハーバード大学助教授名古屋大学理学部教授、京都大学数理解析研究所教授、京都大学数理解析研究所所長、京都大学高等研究院研究院長などを歴任した。

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概要

愛知県名古屋市出身の数学者である。代数幾何学における双有理幾何学を専攻する。代数幾何学での業績により、1990年フィールズ賞を受賞した。名古屋大学教授京都大学数理解析研究所教授・所長、名古屋大学特別教授、京都大学高等研究院特別教授・研究院長を歴任した。ハーバード大学プリンストン高等研究所マックス・プランク研究所コロンビア大学など、日本国外での研究経験も豊富であった。数学分野での国際的な協力を行う非政府組織であり、国際数学者会議の主催団体である国際数学連合総裁にアジア人としては初めて選出された[4][5]

研究

接束が豊富なら射影空間である」というハーツホーンの予想を解決した論文[6]は、代数多様体の構造論における最初の一般的な定理として歴史に刻まれるものであり、そこで開発された証明の技法がさらに洗練され「端射線の理論」となった。これは代数多様体および有理写像の構造の研究に有力な手段を与えるもので、これにより2次元の壁を乗り越えて高次元代数多様体の構造を解明することが可能になった。森理論の発表、3次元ファノ多様体の研究など高次元代数多様体の研究に新しい視点を提供した。これらの業績により、1983年のワルシャワでのICMの招待講演に招聘された。さらに極小モデルの存在を3次元の場合に示すことに成功し、1990年に京都で開かれた国際数学者会議でフィールズ賞を受けた。

人物

  • 日本を震撼させた東大安田講堂攻防戦の直後となった1969年東京大学入学試験は、当時の佐藤内閣政治的判断と行政指導により中止されてしまった。このため森は仕方なく京都大学に進んだ[1]。フィールズ賞を受賞した時、『科学朝日』誌は「あのとき東大に進んでいたらフィールズ賞受賞はなかっただろう」とこれを報じている[要文献特定詳細情報]
  • 大学時代は全問正解しても80点しかくれない教授の試験で120点を取り続けた[7][信頼性要検証]
  • 大学受験数学雑誌『大学への数学』の学力コンテストで1年間ほぼ連続満点[8]を続けた伝説の人となり、編集部が森の答案を楽しみにしていた[要出典]
  • 高校の時に大学の内容を進んで学んでいたりはしていなかった。大学での数学に触れたのは大学に入ってからである[1]
  • 広中平祐は「自分は鈍才だが、森君は天才」という[9]
  • 謙虚な人柄で、「3次元代数多様体における極小モデルの存在証明」のテーマで同賞を受賞したことについて「応用がものすごく広がったが、私が貢献したのはごく一部。周りの皆さんのおかげ」という[10]

略歴

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2018年8月1日、国際数学者会議にて
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賞歴・講演歴

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1990年、国際数学者会議にてエドワード・ウィッテン(左)と
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栄典

著作

学位論文

著書

代表的な論文

注釈

  1. 1987年との表記もある[2]

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

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