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森雄二とサザンクロス
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森雄二とサザンクロス(もりゆうじとサザンクロス)は、森雄二をリーダーとする歌唱グループである。
概要
1975年、森雄二をリーダーとする4人組でデビュー。一時解散・再結成[1]、メンバー交代はあったが活動を続けた。2018年、リーダーの森雄二が死去[2]するも、2020年から菅野ゆたか、山口晃生、奥野広道の3人組で「新☆森雄二とサザンクロス」として活動中[3]。ヒット曲に「意気地なし」「足手まとい」「好きですサッポロ」など。
特色は、メイン・ボーカリストの菅野ゆたかが鼻にかかった独特の声質で、男女の別れ話を題材にした歌詞が多い。レパートリーの大半はマイナー・コード(短調)で、哀愁・悲壮感が常に漂う。またラテン音楽を意識したアレンジやイントロ・間奏・エンディング等で流れる森雄二のレキントギターの音色も楽曲を彩る重要な要素である。そしてバック・コーラスは裏声を多用し「ウ〜〜〜、ウ〜〜〜、ア〜〜〜〜〜〜〜」と女声の声域でちりめんビブラートを効かせるのが定番。1978年発表の「母性本能」は、曲名として甚だ衝撃的であり、マニアの間ではことに有名なナンバーでカラオケでも隠れた人気曲である[4]。
なお、「森雄二とサザンクロス」とは別に元メンバーなどによる「サザンクロス」を名乗るグループが活動している(「サザンクロス」および「大前あつみ&サザンクロス」)。
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バイオグラフィ
森雄二は敏いとうのグループ「トシ伊藤とザ・プレイズメン」などに在籍した後、新宿の店で菅野ゆたかとデュオで活動していた。そこへ目を止めたのが作曲家・中川博之とクラウンレコードの関係者で、当時ビクターに移籍していた黒沢明とロス・プリモスに代わる歌手を探していたところであった[5]。最初に情報をもたらしたのは喜多條忠だったという[5]。検討の結果4人組でデビューすることが決まり、グループ名は当時のクラウンレコード社長により、4人組ということから南十字星を意味する「サザンクロス」と命名された[5]。またそれまで本名で活動していた森に「森雄二」と芸名を付けたのは中川であった[5]。
1975年、「さようなら幸せに」(中川博之作曲、高畠じゅん子作詞。この曲は高畠の作詞デビュー作でもあった)でデビュー。以後、クラウン時代のシングル曲はそのほとんどの作曲を中川博之が手掛けた。「意気地なし」「足手まとい」(後に敏いとうとハッピー&ブルーがカバー)などのヒット曲を世に送り出す。1981年の「好きですサッポロ」は、同年開催されたさっぽろ雪まつりのテーマソングにもなり、現在でも北海道のテレビ・ラジオで放送されるなど一定の人気があり、代表曲の一つとなった。しかしクラウンからのリリースは「ひとり占め」などを発表した1984年が最後となり、翌1985年2月に一時解散する[1]。同年11月に新メンバーにて再結成[1]。1987年、元メインボーカルの菅野ゆたかがソロデビュー。
敏いとうの勧めもあり、1995年に再編成[6]。なお「Tokyoなみだ」(2003年)リリース頃の参加メンバー(田村修三・生田目章彦・島ゆたか・柳田さとる)[7][8]はその後「サザンクロス」として別に活動している(田村修三は2014年1月16日死去[9])。またこの間、元メンバーの大前あつみが「大前あつみ&サザンクロス」として1996年から活動を始めている。
森は菅野ゆたか、山口晃生(1992年にオーディションにより加入[2])と共に、旭川を中心にディナーショーを開催。
2018年4月18日、森雄二が腎不全のため75歳で死去した[2]。死去前は、山口晃生・奥野広道(1985年一時解散後の再結成時に加入[1])との3人組だった[2]。
2020年より菅野ゆたか、山口晃生、奥野広道の3人で「新☆森雄二とサザンクロス」として活動開始[3]。
2022年5月、菅野ゆたかが階段から転落する事故により負傷[10]、以後リハビリ中となったため2024年より補欠メンバーとしてむらさき竜二が加入。森雄二、森田まゆみより、「森雄二とサザンクロス」の正式後継者として現在3人で活動中。
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メンバー
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- 森雄二(レキントギター、ボーカル) - 2018年4月18日死去。
- 「森雄二とサザンクロス」[要出典]
歴代メンバー
- 菅野ゆたか(ボーカル)[11][12]
- 結成時のメンバー。初代リードボーカル。1985年の一時解散後、1987年にソロデビュー。2002年には、元敏いとうとハッピー&ブルーの森本英世、元秋庭豊とアローナイツの木下あきらとともに「ハッピー・サザン・アロー」を結成。
- 小川良雄(サイドギター)[12] - 結成時のメンバー。
- 川池真一(ベース)[12] - 結成時のメンバー。
- 大前あつみ(ベース)[13]
- 川池真一に代わって加入。1985年の一時解散後、1996年から(森雄二と)サザンクロスとは別のメンバーで「大前あつみ&サザンクロス」として活動。2024年4月30日、がんのため73歳で死去[14]。
- 奥野広道(レキントギター・コーラス)[1]
- 1985年の一時解散後、再結成し1987年「ふたりのシュビドゥバ」発表時のメンバー。その後いくつかの曲では編曲、コーラスアレンジも手掛けている。
- 矢藤史郎(ボーカル)[1] - 「ふたりのシュビドゥバ」発表時のメンバー。
- 三井純平(ギター、コーラス)[1] - 「ふたりのシュビドゥバ」発表時のメンバー。
- 菅谷聡(ベース、コーラス)[1] - 「ふたりのシュビドゥバ」発表時のメンバー。
- 山口晃生(ボーカル)[15]
- 1992年「足手まとい'92」でデビュー。1996年からは田村修三との演歌デュオ「金剛と榛名」としても活動した[16]。
- 田村修三(ボーカル)
ディスコグラフィー(森雄二とサザンクロス)
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サザンクロス
一時期「森雄二とサザンクロス」として活動[17]したメンバーで、その後は「サザンクロス」として活動[7][8]。2014年に田村修三が死去、2023年に一条聖矢が加入。
メンバー
ディスコグラフィー (サザンクロス)
大前あつみ&サザンクロス
大前あつみによって、1996年に結成[13]。
メンバー
ディスコグラフィー (大前あつみ&サザンクロス)
- TOKYOなみだ(2001年)
- ひとりがつらいの(2002年)
- 愛されて高崎(2004年) - 「大前あつみ&サザンクロス with TOMO」名義
- アスタ・ラ・ビスタまた明日(2006年) - 「 大前あつみ & サザンクロス With アンジェリカ[19]」名義
- 星の河〜ニューバージョン〜(2008年) - 「愛されて高崎」カップリング曲のニューバージョン
- 洒落た関係(2008年) - 「大前あつみ&サザンクロス with ジュン」名義
- エンドレス・ラブ(2015年) - 「大前あつみ&サザンクロス with ファンファン」名義
- 永遠(とき)をこえて(2017年)
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関連項目
出典
注釈
外部リンク
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