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中川博之
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中川 博之(なかがわ ひろゆき、1937年3月15日 - 2014年6月11日)は、現在の韓国ソウル市生まれの日本の作曲家、歌手。別名に五十嵐 悟(いがらし さとる)、ユズリハシロー。妻は作詞家の高畠じゅん子。
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経歴
- 1937年、日本統治時代の朝鮮の京城府(現在の韓国・ソウル市)で生まれる。
- 1945年、戦火を逃れ朝鮮北部に疎開する。太平洋戦争敗北とともに数ヶ月の逃避行を経て京城に戻り、収容所で徴兵から復員して来た父と劇的な再開を果たす。翌日、極度の過労から急性肺炎で母が死去する。
- 1946年、母の遺骨を抱き、引揚船で日本に帰国する。
- 父の故郷・岡山県新見市哲多町宮河内、母の故郷・山口県光市で青年時代を過ごす。新見中学校、新見高等学校卒業[1]。
- 1955年「湖畔の宿」が好きだった母の影響を受け、音楽家を志し単身上京し、様々な職種に就きながら音楽を勉強する。
- 1962年、CMソングのオーディションに合格、プロの道へと進む。当時、広告代理店のプロデューサーだった内田康夫(後の推理作家)と、数多くのCMソングを発表する。
- 1966年、「ラブユー東京」で歌謡界に作家デビューする。ミリオンセラーとなり、クラウンレコードの専属作曲家となる。以来、ムード歌謡界の第一人者として活躍。
- 1972年、美川憲一が歌う「さそり座の女」を作曲。
- 2004年、日本クラウンより『歌との出逢い、愛とのめぐり逢い/中川博之作曲生活40周年記念』のCDを発表[2]。
- 2010年5月27日、新見市は初の市民栄誉賞を同氏に贈呈することを発表し[3]、6月6日に授賞式が行われた。
- 2014年6月11日、肺癌のため死去した[4]。77歳没。没後に日本レコード大賞特別功労賞が贈られた[5]。
- この年に歌手生活50周年を迎えた美川憲一の記念曲「雨がつれ去った恋」が発売。この作品が共に歌謡界を駆け抜けた同志、美川にとって最後の中川作品となった。
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創作
作曲数は1,500曲以上、レコード、CDの売上枚数は450万枚以上。新見市立千屋小学校の校歌をボランティアで作曲したこともある。
代表作品
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脚注
関連項目
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