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三ツ沢公園球技場

横浜市神奈川区にある球技場 ウィキペディアから

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三ツ沢公園球技場(みつざわこうえんきゅうぎじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢公園内にある球技場。施設は横浜市が所有し、横浜市緑の協会・スポーツ協会グループが指定管理者として運営管理を行っている。

概要 三ツ沢公園球技場 ニッパツ三ツ沢球技場, 施設情報 ...

横浜市金沢区に本社を置く自動車部品メーカーの日本発条命名権(ネーミングライツ)を取得しており、2008年3月から「ニッパツ三ツ沢球技場」(ニッパツみつざわきゅうぎじょう、略称「ニッパツ」)の呼称を用いている(詳細は後述)。

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概要

1955年の第10回国民体育大会(神奈川国体)に備えて整備された球技場で「日本におけるサッカー専用スタジアムのはしり」という言及がなされている[1][2]

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)、日本フットボールリーグ全国高等学校サッカー選手権大会やその神奈川県大会決勝、全国高等学校ラグビーフットボール大会の神奈川県大会決勝のほか、ジャパンラグビーリーグワンでも使用されている。

歴史

要約
視点

開場から1998年まで

三ッ沢球技場は、第二次世界大戦で荒廃した戦後、横浜市民のスポーツ振興とサッカーの普及、及び各都市との親睦と交流を目的に1955年(昭和30年)の第10回国民体育大会の神奈川県開催に合わせて、1951年(昭和26年)に着工、1955年に完成した[1]

1964年東京オリンピックサッカー競技開催にあたり、1921年第5回極東選手権日本代表(当時の名称は全日本)主将を務めた佐藤實横浜サッカー協会第3代会長が、代表メンバーの一人だった野津謙日本サッカー協会会長に働きかけ[1]飛鳥田一雄横浜市長らの多くの人々の尽力があり[1]、三ッ沢球技場開催に漕ぎつけた[1][3]

1964年10月11日に行われたイランドイツの一戦には、サッカーが不人気な時代に、1万3,000人が詰めかけた[1]

その後は日本サッカーリーグ(JSL)で古河電気工業サッカー部日産自動車サッカー部全日空横浜サッカークラブなどが試合を開催した[4]。これ以外でもアマチュアサッカーやラグビーの試合で頻繁に使用され、同球技場は神奈川県や東日本でのサッカー・ラグビー大会の開催地として重用された。

1991年にJリーグの発足と横浜マリノス(前身は日産自動車)・横浜フリューゲルス(同全日空横浜)の参加が決まると、横浜市内を本拠地[注 1] とする両チームのホームスタジアムとして三ツ沢球技場が選定され、当時のJリーグ(現在のJリーグ ディビジョン1(J1))規格を満たす約15,000人を収容できるスタジアムとして、リーグ発足の1993年に増築された。

1994年にグラウンドの水はけの改良を含めた全面的な芝の張替え作業を行った。

三ツ沢球技場は1998年3月には同年10月の第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)の主会場として[注 2]、かつ2002年6月の2002 FIFAワールドカップ(W杯日韓大会)の開催予定地として[注 3]横浜国際総合競技場(2005年から「日産スタジアム」)が完成したのに伴い、マリノス・フリューゲルス両チーム共に2つのスタジアムを併用する体制となった。

1999-2007年

1999年横浜F・マリノス(横浜FM)が発足し、国体終了に伴い横浜国際の使用制限も解除されると、同年の横浜FM主催試合はJリーグカップ(ヤマザキナビスコカップ、ナビスコ杯)を含めて三ツ沢では1試合もなかった。

2000年以降は2002年W杯や2001年開催のコンフェデレーションズ杯の準備のために横浜国際の使用が再び制限され、かつ観客動員が少ないと見込まれる水曜開催のリーグ戦やナビスコ杯などで三ツ沢での開催例が復活した[注 4]。年間席(シーズンチケット)販売の増加を含め経営規模の拡大が必要な横浜F・マリノスにとって1万5千人規模の三ツ沢は小さすぎ、大半の主催試合は横浜国際[注 5] で行われるようになった。2007年に行われた横浜ダービー(後述)でもF・マリノス主催試合は日産スタジアムで行われた。

横浜FCは、元フリューゲルス関係者と共に「聖地」三ツ沢への思い入れが強く[注 6]、かつF・マリノスと比較して小規模な経営が必要だった事情もあり、三ツ沢球技場を中心とした試合開催を進める事になった。年明けの日本フットボールリーグ(JFL)参加が決まり、競技場確保が難航した1999年は12試合中3試合のみだったが[注 7]2000年以降は三ツ沢球技場での主催試合開催が安定して行えるようになった[注 8]

2001年J2参入後も変化はなかったが、2002年はW杯の練習会場で三ツ沢球技場が指定されたため、三ツ沢陸上競技場での試合開催も行われた。2006年には横浜FCがJ2優勝とJ1昇格を決めた後の最終戦が三ツ沢球技場で行われ、城彰二の引退セレモニーも行われた[5]

2003年、社会人ラグビーのジャパンラグビートップリーグが開始されると、三ツ沢球技場はその試合会場の一つとして使用されるようになった[6]

2008年以降

2008年3月1日、日本発条が命名権を取得し、「ニッパツ三ツ沢球技場」へ名称を変更。

横浜FCは2007年シーズンこそ日産スタジアムと併用する状態であったが、以降は日産スタジアムの使用は2008-2010年までの各1試合のみとなり[注 9]、本拠地登録も当球技場に一本化された。一方、横浜F・マリノスはJ1リーグ戦の3試合[注 10] とナビスコ杯の2-3試合[注 11] をニッパツ三ツ沢球技場で行うが、主な試合会場は日産スタジアムであり、試合数からも「横浜F・マリノス=日産、横浜FC=ニッパツ三ツ沢」の住み分けが事実上成立している。

2009年から2010年にかけて、スタンドの外装や内装の改修が行われた。この際、横浜FCからスタンドのベンチ席を全部個別席にするなどの提言が出され[7]、収容人員は15400人となって、収容人数1万5千人以上や全席個別化などのJ1規格を満たした。総工費3億2800万円[8]

2022年から開幕したジャパンラグビーリーグワンでは、横浜キヤノンイーグルスが同年からホームスタジアムの1つとして使用する[9][10]

2022年、横浜市は、老朽化が進んでいること及びJリーグ基準を満たしていないことから、新スタジアムを建設する基本構想案を策定した[11]

2025年6月、陸上競技場を泉区の深谷通信所跡地に移転させ、この跡地に新しいスタジアムを建設する方針を報告、公表した。新スタジアムはすべての観客席を屋根で覆うなどJリーグ基準を満たし、現状の1万5千人以上を収容する規模とする[12]。同年8月、横浜市はこの方針を決定した[13]。後述「改修構想」も参照。

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夜間開催時のニッパツ三ツ沢球技場。バックスタンドのホームゴール裏コーナー付近から(2009年J2第16節:横浜FC-FC岐阜
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ジャパンラグビートップリーグ開催時のニッパツ三ツ沢球技場。メインスタンドから。 2012年キヤノンイーグルスリコーブラックラムズ
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施設概要

出典:[14]

  • 収容人員:15,454人
    • メインスタンド:5,580人(車いす席20人を含む)
    • バック・サイドスタンド:9,874人(車いす席10人を含む)
  • フィールド:天然芝130m×74m
  • 利用種目:(団体利用のみ)サッカー、ラグビー、ホッケー
  • 照明設備:4基 (鉄塔式)
  • 大型映像装置(高輝度LEDフルカラー)
  • フィールド電光掲示板・ゴールタイマー

命名権

さらに見る 命名権による呼称, 契約企業 ...

ニッパツ三ツ沢球技場

2007年にネーミングライツ導入が決定され、ばね製造の日本発条が命名権を取得し、2008年3月より愛称が「ニッパツ三ツ沢球技場」、略称が「ニッパツ」「ニッパツ球技場」となった[15]。契約期間は2013年2月末までの5年間、契約料は年額8,000万円を基本とし、その後各年度毎の「年度別契約」により年額を確定させる。これに伴い2008年度は年額7,000万、2009年度と2010年度は6,500万円、2011年度は6,000万円、2012年度は5,500万円となっていた。2013年からの再契約では年間4000万円となり、契約期間も3年間に短縮された。[16]

2013年から3年契約、2016年から5年契約と更新されており、現在の契約は2026年2月28日まで。

Jリーグにおける英語表記は、日本発条の英称「NHK Spring」を用いて "NHK Spring Mitsuzawa Football Stadium"となっている[18]。なお、Jリーグ公式ウェブサイトでは元々略称表記を「ニッパ球」としていたが、2015年より「ニッパツ」に改めている。この理由について同球技場を本拠とする横浜FCは、横浜市内に ニッパ という会社があり、ネーミングライツにおいて支障をきたしており、混乱を招く一因となっていたためとしている[19]

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アクセス

鉄道・バス

自動車等

改修構想

要約
視点

スタジアムのキャパシティーは前述したとおりJ1基準の15000人を満たしているが、Jリーグクラブライセンス制度「B等級」[注 12] の条件である「観客席の3分の1相当に屋根を敷設すること」と、「トイレ(洋便器)を一定数確保すること」の条件を満たしていない。本球技場の場合、屋根は全く設置されておらず、トイレは最低限(収容人員1000人当たり、洋便器5台・男性の小便器8台)の3割ほどしか満たせていないという[23]。同様の事例は全国に存在するが、2014年の時点でも横浜市からは改善案が示されておらず、当時のJリーグ専務理事の大河正明は「改修できないのなら、新スタジアムの構想を含めて考えてもらわないといけない」との指摘があった[23]。これに対し、球技場を管理する横浜市環境創造局は、屋根の敷設には建設費が高額になるうえ、公園利用への影響も大きいとして「Jリーグ側の要望も高まっていることは理解できるが、一つの部署で決められるものではない」としており、整備の見通しは示していなかった[23]

2019年12月、横浜FCが2020年J1に昇格するにあたって、当時の横浜市長・林文子を表敬訪問した際、三浦知良が「雨の日はサポーターがびしょ濡れになるので、そこを協力してもらえれば」と、客席の屋根敷設を要望した[24]。その後、林は2020年度横浜市予算案に改修調査費を盛り込むことを明言している[25]。改修検討は2020年度から2021年度にかけて継続して行われているが、横浜市会の予算第2特別委員会の質疑で、市当局者が「既存のメインスタンドに屋根だけを掛ける方法は困難」なため、「メインスタンドの建て替えや球技場全体の建て替えなど幅広く検討していく必要がある」と答弁した上で、小林一美副市長が「(三ツ沢)公園全体のリニューアルも含め、さまざまな選択肢を幅広に検討していきたい」と述べている[26]

2022年6月1日、横浜市は横浜市会の常任委員会に「三ツ沢公園球技場を含む公園の再整備に向けた基本的な考え方(案)」を提示し、三ツ沢公園内に新たな球技場を建設する方針を示した[27][28]。現在の球技場の敷地で建て替えた場合、屋根を設けると日照の時間が少なくなり芝生の生育の観点から球技場の稼働も減ることから、三ツ沢公園の施設全体の見直しを踏まえるもので、三ツ沢公園内にある補助陸上競技場、青少年野外活動センター、第2テニスコートなどの敷地に新たな球技場を建設した上で現在の球技場も活用し(補助陸上競技場は現位置付近に再整備しテニスコートは第3テニスコートで増設の予定)、他の老朽化した施設のリニューアルを含めた公園の再整備を行うこととしている。建設費については、横浜市会の常任委員会における環境創造局の答弁で「構想段階であり、(費用の)具体化には至っていない。他都市の事例を見ても球技場建設は大きな事業のため、いろいろな意見を伺いながら進めていきたい」としている[28]

2022年10月14日、横浜FCの親会社であるONODERA GROUPが、前述の「三ツ沢公園球技場を含む公園の再整備に向けた基本的な考え方(案)」に呼応して、同社が事業主体となって三ツ沢公園内に新球技場を整備し、完成後に横浜市に寄付するという事業提案を行ったことを公表した[29]。寄贈条件として「新スタジアムの施設名称を『ONODERAスタジアム』とすること」「(指定管理者として) 60年間の管理運営をONODERA GROUPまたは子会社が行うこと」「管理運営期間中の使用料・賃貸料を無償とすること」等を合わせて提案したという。しかしその後の検討の結果、法規制や事業採算性などの面で事業提案の内容を実現させることが困難だとして、2023年6月23日付でONODERA GROUPがこの提案を取り下げたことを表明した[30]

2025年6月、横浜市は市議会常任委員会で、陸上競技場を泉区の深谷通信所跡地に移転させ、この跡地に新しいスタジアムを建設する方針を報告、公表した。新スタジアムはすべての観客席を屋根で覆うなどJリーグ基準を満たし、現状の1万5千人以上を収容する規模とする[12]。同年8月、横浜市はこの方針を決定した[13]

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横浜市民病院の移設

横浜市は、三ツ沢公園に隣接した横浜市立市民病院の施設が老朽化し、原位置での改築が困難なことから移転計画策定を行い、その有力候補地として、球技場に隣接した軟式野球場および古河電気工業所有地(当時は同社の社宅が存在)が挙げられたことが明らかになった[31]。病院側としては、「現在地から約500mの移動で済む」「横浜駅からより近くなり、交通の利便性が高まる」「病院と公園が一体となった災害対策機能の向上が図れる」ことを移転候補地とした理由として掲げている。同球技場を本拠地とするYSCC横浜の理事長・吉野次郎は「ニッパツ球技場は横浜市内のサッカーの聖地であるのに、わざわざそこに病院を移設する狙いがなぜあるのか」とする疑念を抱いており、「(病院が球技場の近くに移転することが)決まった以上は、球技場と病院が共存していく形をとるしかない。球技場に屋根を付けたり、患者さんが試合を観戦できる部屋を整備するなどの改修が必要ではないか」と述べている。一方の市民病院を運営する横浜市病院経営局もこの反対意見を受け止めてはいるが、「サッカーは週末開催がほとんどであるため、平日の外来とは重ならない。病院の施設についても、建物構造や設備で防音対策を取る」としている。

2014年9月に策定された「横浜市立市民病院再整備基本計画[32]」では、軟式野球場及び古河社宅跡地への新築移転を前提に、スポーツ観戦などによる歓声等の対策として、外壁はコンクリート厚15cm以上を確保し、窓は開口面積の調整や遮音性能の高いサッシ等による減音を施すとしている。一方、具体策については触れられていないものの、「適切な療養環境を維持しつつ試合観戦にも影響が出ないように配慮していきます」と説明している。

2020年5月1日にスタジアムのバックスタンド裏に横浜市立市民病院が移転開院した[33]

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脚注

関連項目

外部リンク

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