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武烈王陵

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武烈王陵(ぶれつおうりょう、ハングル: 무열왕릉〈ムヨルワンヌン〉、太宗武烈王陵ハングル: 태종무열왕릉〈テジョンムヨルワンヌン〉)は、韓国慶尚北道慶州市西岳洞(ハングル: 서악동〈ソアクトン〉)にある新羅第29代王、太宗武烈王ハングル: 태종무열왕〈テジョンムヨルワン〉)の陵墓である。慶州武烈王陵(ハングル: 경주 무열왕릉)として大韓民国指定史跡第20号に指定されている[2]

概要 慶州 武烈王陵경주 무열왕릉 (Tomb of King Muyeol, Gyeongju), 種類 ...
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概要

仙桃山(ハングル: 선두산〈ソンドサン〉)の東麓にある4基の大きな墳丘墓西岳洞古墳群朝鮮語版)に続く5基目の主たる墳丘として最も低い位置にある[1][3]。高さ8.73メートル[1](10.9m[4]、約11m[5])直径36.31メートル(約37m[4]、約33m[5])、周囲114メートル[6](約104m[5])の円墳であり、陵墓の周りを自然石で囲み固めたとされる[5][7]。発掘調査はなされていないが、内部の構造形態は横穴式石室[8]、あるいは最後の積石木槨墳朝鮮語版の王陵とも考えられる[9][10]。前部には供物石としての石床が備えられている[5]

歴史

陵域内には、大韓民国国宝第25号に指定された太宗武烈王陵碑ハングル: 태종무열왕릉비〈テジョンムヨルワンヌンビ〉)の亀趺(きふ)と螭首(ちしゅ)が残存し、螭首に「太宗武烈大王之碑」とあることから[4]新羅の陵のなかで唯一、埋葬された王の明確に認められる王陵である[11]

武烈王ハングル: 무열왕〈ムヨルワン〉、在位654-661年)は、三国統一を推し進めた新羅の第29代王であり、本名は春秋(キム・チョンチュ)。太宗武烈王8年(661年)6月に死去し、王の諡号(しごう)を武烈[12]廟号(びょうごう)は太宗(テジョン)となる[2][13]

1963年1月21日、新羅武烈王陵(ハングル: 신라무열왕릉)として大韓民国指定史跡第20号に指定され、2011年7月28日より現在の指定名称である慶州武烈王陵(ハングル: 경주 무열왕릉)に変更された。1972-1973年に王陵の周辺が整備されている[2]

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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