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武者一雄
日本の小説家、児童文学作家 ウィキペディアから
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武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日[1] - 2008年〈平成20年〉12月17日)は、日本の小説家、児童文学作家、僧侶。群馬県出身。本名・中村一雄[2][3]。『ビルマの竪琴』の水島上等兵のモデルとなったとされることで知られる[2][3]。
人物・来歴
碓氷郡松井田町(現 安中市)生まれ[2][3]。13歳で僧となる[3]。旧制高崎中学校(現 群馬県立高崎高等学校)を経て、1936年駒澤大学専門部仏教科卒業[1][2]。卒業後ただちに高崎第15連隊に入隊[2]。1938年に北支に出征した後1941年に帰国[2]。福井県の永平寺で2年間修業するが再び召集され[2]、フィリピン、タイなど東南アジアを転戦後、多くの死者が出たインパール作戦に参加し、ビルマ(今のミャンマー)で終戦を迎える[3]。階級は軍曹[2]。捕虜収容所では合唱団を結成していたという[3]。1946年復員[2][3]。同年子育保育園を創立[1]。翌1947年に群馬県利根郡昭和村の曹洞宗雲昌寺住職となる[1][3]。
1956年に『生きているビルマの竪琴』を発表[2][3]。自らの体験を書いた児童文学『ビルマの耳飾り』で第8回(1967年度)講談社児童文学新人賞・佳作受賞。1982年から1991年まで、群馬県文学賞児童文学部門の選考委員をつとめた。日本ペンクラブ、日本児童文芸家協会所属[1]。群馬県文学賞児童文学部門の選考委員幹事、群馬ペンクラブ理事を歴任[4]。
竹山道雄著「ビルマの竪琴」主人公・水島上等兵のモデルは、ビルマで終戦を迎え、復員後僧侶になった中村一雄と言われるようになった。1998年8月10日NHK総合で『はるかなる「ビルマの竪琴」』がテレビ放映 。同年10月、私財を投じミャンマー・キンウー地区に「アウンティリ小学校」を寄贈 、日本人戦没者慰霊碑を建立。『ビルマの耳飾り』はビルマ語に訳され、同国の文学賞を受賞[3]。
2008年12月17日老衰のため死去、享年92[5]。
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作品
- 『生きているビルマの竪琴』妙義出版 1956
- 『ビルマの耳飾り』文憲堂七星社 1968 - 講談社児童文学新人賞佳作
- 『ビルマの耳飾り』上毛新聞社 1995
- 『こわいものたんけん』ポプラ社 1976
- 『わんぱく大作戦』ポプラ社 1976
- 『隠れの里の忍者』教育書籍 1984.10[6]
- 『ビルマの星空』日本図書刊行会 1997.6[7]
- 『ビルマの耳飾り―悲劇のインパール戦線』光人社NF文庫 1997.6
- 『エッセイ―他 (恥書きあれこれ始末録)』あさを社 2003.7.1
- 『旅 (恥書きあれこれ始末録)』あさを社 2003.7.1
- 『わたしの場合 (恥書きあれこれ始末録)』あさを社 2003.7.1
出典
関連項目
外部リンク
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