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武藤一忠
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武藤 一忠(むとう いっちゅう、1837年(天保7年12月[1][2]) - 1908年(明治41年)5月19日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
肥後国菊池郡(現・熊本県菊池郡)生まれ[1]。熊本藩校時習館で学ぶ[1]。菊池郷文芸指南、木下梅里の私塾で子弟を教授する[2]。里正、戸長、菊池郡書記、熊本県会議員、同常置委員、同副議長、地方森林会議員、学務委員となる[1][2]。また、菊池郡立中学校を創立する[1][2]。
1895年12月、紫藤寛治の死去による補欠選挙で熊本3区から立候補して初当選した。続く1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補して再選した[3]。衆議院議員を2期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙は不出馬。1908年に死去した。
脚注
参考文献
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