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永原稔

日本の政治家 ウィキペディアから

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永原 稔(ながはら みのる、1921年 <大正10年> 4月21日 - 2006年 <平成18年> 12月17日[1])は、日本政治家新自由クラブ衆議院議員(1期)。勲三等瑞宝章

来歴

静岡県出身[2]1944年東京帝国大学法学部政治学科卒[2]学徒動員陸軍に入り、終戦後静岡県庁に勤める。県庁内では人事、調査、財政ほか各課長や、企画調整部長、出納長、副知事などを務めた[2]1974年斎藤寿夫知事が辞任すると、社会公明民社三党の推薦で県知事選に出馬するが、自民党参院議員だった山本敬三郎に敗北。1976年第34回衆議院議員総選挙静岡1区から新自由クラブ公認で立候補して当選した[3]1979年第35回衆議院議員総選挙では落選した[3]。1992年春の叙勲で勲三等瑞宝章を受章[4]2006年胃癌で死去[1]

脚注

参考文献

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