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池田政礼
備中生坂藩8代藩主(最後)。池田政和の次男。従五位下、丹波守。子爵生坂池田家初代 ウィキペディアから
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池田 政礼(いけだ まさのり、嘉永2年12月17日〈1850年1月29日〉 - 1907年〈明治40年〉10月7日)は、備中岡山支藩(のち生坂藩)の第8代(最後)の藩主。明治時代後期の華族(子爵)。諱の表記は政禮とも(旧字体)。
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生涯
第7代藩主池田政和の次男。官位は従五位下、丹波守。幼名は日升丸。
旧暦安政2年12月27日(1855年)、父の隠居により家督を継ぐ。文久3年(1863年)、上洛して御所の警備を務める。慶応3年12月3日(1867年)に再び上洛、6日後に王政復古を迎えた。翌慶応4年(1868年)からの戊辰戦争では本家の岡山藩と共に新政府軍に与し、大津口の警備や尾張藩への進軍などで功を挙げた。
岡山藩知事池田章政による領地分割の請願が容れられ、明治3年1月12日(1870年)に生坂藩が設置され、政礼はその藩知事に任じられた[1]。明治4年7月14日(1871年)、廃藩置県により免官となり、9月に東京府へ移った。
華族令制定により、新暦1884年(明治17年)7月8日に子爵を叙爵。1907年(明治40年)10月7日に死去した。
養子の政時が跡を継いだ。政時は実子の政良が早世したため、養子として政英(姉小路公政の子)を迎えた。政時、政英もまた子爵となっている。
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系譜
栄典
脚注
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