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沖宗敏彦
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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沖宗 敏彦(おきむね としひこ、1959年9月7日 - )は広島県出身の元サッカー選手、元日本代表選手。
経歴
広島工業高校時代[2] の2年次の1976年、新潟高校総体ベスト8、国体準優勝(1-4静岡県選抜)、3年次の1977年、岡山高校総体ベスト4進出に貢献した。
その後は川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部に11年所属[3]。望月豊仁、来海章、中村一義、城福浩、岩渕弘幹、沈祥福らとプレー。フィジカルの強さとテクニックに優れた左利きのディフェンダーで、センターバックや左サイドバックをこなした。1979年、U-20サッカー日本代表としてワールドユース日本大会に出場。また日本代表として1981年のムルデカ大会など、国際Aマッチ2試合にも出場した[1]。
近年は宝くじの普及広報を目的とした、ドリームサッカー日本代表OBのメンバーとして各地で試合を行っている。
また、2007年4月設立の神奈川県NPO法人座間スポーツコミュニティ(座間フットボールクラブ)で理事、総監督としてU-13、U-14、U-15を指導し、現在活動中。神奈川県座間市サッカー協会副技術委員長及び中学トレセンも指導を担当し現在に至る。
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所属クラブ
個人成績
日本サッカーリーグ1部成績
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 2試合0得点 (1981)[1]
- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1981年8月30日 対マレーシア戦 (クアラルンプール)[1]
- 日本代表初出場:1981年8月14日 対トッテナム・ホットスパー・ユース(イングランド)戦 (ロンドン)
- 日本代表初得点:1981年8月25日 対バイエルン州選抜(西ドイツ)戦 (アウクスブルク)
出場
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脚注
外部リンク
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