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中村一義 (サッカー選手)

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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中村 一義(なかむら かずよし、1955年4月8日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW(左ウイング)。静岡県藤枝市出身。川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部[2]などに所属し、日本代表としても、国際Aマッチ5試合に出場し1得点した[1]

概要 中村 一義, 名前 ...
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略歴

西益津中学校3年次に全国中学校サッカー大会優勝に貢献し注目される。 高校はサッカーの名門藤枝東高校に進学するとレギュラーの座を掴み、4-2-4システムを採用する同校の左ウイングとして、第51回大会(1973年)と第52回大会(1974年)の全国高校サッカー選手権大会の2年連続準優勝に貢献した[3]。主将として挑んだ3年次の高校選手権決勝の北陽高校戦では自身の上げた得点がオフサイドと判定される不運もあった。

その後、法政大学に進学し4年次には関東大学サッカーリーグで優勝するなど活躍を続けたが、1978年に加入した日本サッカーリーグ1部の富士通サッカー部では、同クラブが翌年に2部へ降格した事もあり脚光を浴びる機会が少なかった。そして1981年シーズンを最後に現役を引退した[4][5]

代表レベルでは高校2年次に日本ユース代表に選出、1973年にイランで開催されたAFCユース選手権準優勝に貢献。また1974年1月には高校生として初めて日本選抜に選出され三国対抗に出場した。

1979年3月4日に国立競技場で行われた日韓定期戦日本代表デビューを果たした[1]。この試合で高校時代の先輩の碓井博行とコンビを組み、前半26分に決勝ゴールを決め勝利に導いた。また同年6月に行われたムルデカ大会などにも出場したが、この年が最後の代表参加となった[1]

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選手時代の評価

  • 技巧的なドリブルと100m11秒台の駿足[6]、得点能力を併せ持つウインガー。個人技に優れ1970年代には西野朗らと共に将来の日本を担う人材と嘱望された選手であった。

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

代表歴

  • 日本代表初出場:1979年3月4日 対韓国戦(国立競技場
  • 日本代表初得点:1979年3月4日 対韓国戦(国立競技場)

試合数

さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...

出場

さらに見る No., 開催日 ...

得点数

さらに見る #, 年月日 ...
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参考文献

  • 「マガジンーインタビュー・ルーム」『サッカーマガジン』1974年3月1日号
  • 「藤枝東の同点ゴールは幻だったか!」『サッカーマガジン』1974年3月1日号
  • 「選手と話そう(7)中村一義」『サッカーマガジン』1975年10月25日号
  • 「中村一義 ドロ沼からはい上がった奮迅の戦士」『サッカーマガジン』1979年5月25日号
  • 全国高等学校体育連盟『高校サッカー60年史』 講談社、1983年
  • 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993

脚注

外部リンク

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