トップQs
タイムライン
チャット
視点

浅井亨

ウィキペディアから

Remove ads

浅井 亨(あさい とおる、1902年明治35年)9月25日[1][2] - 1986年昭和61年)4月16日[1][2][3][4]は、昭和期の歯科医師政治家参議院議員

経歴

福井県[3]福井市で生まれる[1][2]。1928年(昭和3年)東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を卒業し[3]、さらに1946年(昭和21年)東京慈恵会医科大学を卒業[1][2][3]。歯科医を開業した[3]

堺市議会議員に選出され2期在任した[3]。1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙全国区から立候補して初当選[1][3][5]。1968年(昭和43年)7月の第8回通常選挙兵庫県地方区から公明党公認で立候補して再選され[1][6]、参議院議員に連続2期在任した[1][2][3]。この間、参議院法務委員長、同懲罰委員長などを務めた[1][2][3]

1974年(昭和49年)11月の秋の叙勲勲二等に叙され、瑞宝章を受章する[7][8]

1986年(昭和61年)4月16日、死去した。83歳没。同月22日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従四位に叙された[9]

Remove ads

親族

  • 長男 浅井美幸(衆議院議員)[1]
  • 孫 栗本功子、横谷浄香
  • 曾孫 栗本慧

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads