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源兼資
平安時代中期の貴族。源惟正の三男。正四位下・左馬権頭、蔵人、伊予守、右馬権頭。子に藤原頼仲(山城守、正五位下)、藤原頼兼(伊勢守、従五位下) ウィキペディアから
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源 兼資(みなもと の かねすけ)は、平安時代中期の貴族。文徳源氏、参議・源惟正の三男。官位は正四位下・左馬権頭。
経歴
治部輔を務めたのち、薩摩守として受領に転じ、治績を以て昇叙された。その後は、頻りに美濃国司に任ぜられ、長徳年間に伊予守を務めた。伊予国では前任国守の藤原知章の頃に疫病が蔓延して人々が死亡したため田畝が減少していたが、兼資の統治により亡弊の噂は特に聞こえなかったという[2]。伊予守の任期が満了して京に戻ると、伊予の諸郡の郡吏らが上洛して、兼資の治能をもって重任を請ったという[3]。伊予守在任中に左馬権頭を兼ねている。
長保4年(1002年)7月の末から寝食が通常を失い、左馬権頭の辞職を請って許される。8月6日の辰刻に出家し、同日の巳刻に卒去。享年43。最終官位は前左馬権頭正四位下。
官歴
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
参考文献
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