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源則理
平安時代中期の貴族。源重光の三男。正四位下・但馬守 ウィキペディアから
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源 則理(みなもと の のりまさ)は、平安時代中期の貴族。醍醐源氏、権大納言・源重光の三男。官位は正四位下・但馬守。
経歴
姉妹の一人が藤原伊周の室となったことから中関白家側近と見なされ、長徳2年(996年)に発生した長徳の変により官途に恵まれなかった。
長徳3年(997年)ごろ越中権守に任ぜられると、三条朝から後一条朝にかけて20年ほどに亘って、因幡守・美作守・尾張守・但馬守と受領を歴任する。
この間、但馬守赴任時には社領から年貢を取り立てるという非法行為を行う。さらに、長元8年(1035年)12月に同国の石清水八幡宮の神人と争いそれを射殺した[1]。そのため、長暦元年(1037年)5月土佐国に流罪となったが、早くも同年12月には召還されている[2]。
官歴
系譜
脚注
参考文献
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