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源延光

代明親王の三男。中納言。枇杷家の祖。 ウィキペディアから

源延光
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源 延光(みなもと の のぶみつ)は、平安時代中期の公卿歌人醍醐源氏中務卿代明親王の三男。官位従三位権大納言枇杷大納言と号す。

概要 凡例源 延光, 時代 ...

経歴

朱雀朝末の天慶9年(946年従四位下に叙され、同年11月に源朝臣姓を賜り臣籍降下し、天暦2年(948年侍従に任官する。天暦3年(949年)には右大臣藤原師輔を請客使として出迎えている。

春宮権亮内蔵頭右兵衛督を務めたのち、天徳4年(960年)従四位上・蔵人頭右近衛権中将に叙任され、康保3年(966年)に参議に任ぜられ公卿に列す。兄・保光よりも4年早い参議昇進であった。

議政官の傍らで、右近衛権中将や春宮大夫を兼帯し、安和2年(969年正四位下に叙せられている。円融朝初頭の天禄元年(970年従三位権中納言に叙任され、天禄3年(972年)に中納言となる。天禄4年(973年)に検非違使別当に補されるが翌年に兄・重光にこれを譲り、天延3年(975年権大納言に至る。

天延4年(976年)6月14日に病のために出家し、17日に薨去享年50。

勅撰歌人として、『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集和歌作品5首が入集している[1]

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官歴

公卿補任』による。

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系譜

脚注

参考文献

外部リンク

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