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源致方
平安時代中期の貴族・歌人。源重信の長男。正四位下・右大弁 ウィキペディアから
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源 致方(みなもと の むねかた)は、平安時代中期の貴族・歌人。宇多源氏、左大臣・源重信の長男。官位は正四位下・右大弁。
経歴
円融朝の天延2年(974年)に右衛門佐に任ぜられる。天延4年(976年)従五位上・右少弁に叙任されると、貞元2年(977年)五位蔵人、天元2年(979年)右中弁、天元3年(980年)従四位下、天元4年(981年)権左中弁、寛和2年(986年)左中弁と、弁官に蔵人を兼ねて順調に昇進した。
一条朝初頭の永延元年(987年)に右大弁に昇任するが、公卿昇進を目前にして永延3年(989年)3月父に先立って急逝した。享年39。最終官位は右大弁正四位下。
歌人として活動し、『拾遺和歌集』には藤原実資との連歌、『安法法師集』にも致方の和歌が載せられている。また、日記『致方記』があったが散逸。
官歴
- 時期不詳:侍従[1]
- 安和3年(970年) 正月5日:右馬助[1]
- 天延2年(974年)11月1日:右衛門佐[2]
- 天延4年(976年) 5月:右少弁。日付不詳:従五位上
- 貞元2年(977年) 2月9日:五位蔵人[3]
- 天元元年(978年) 日付不詳:見正五位下[4]
- 天元2年(979年) 2月5日:昇殿。12月2日:右中弁[1]
- 天元3年(980年) 正月4日:従四位下[3]
- 天元4年(981年) 4月3日:権左中弁[1]。日付不詳:東大寺俗別当弁
- 寛和2年(986年) 日付不詳:左中弁[5]
- 永延元年(987年) 11月11日:右大弁[5]
- 永延3年(989年) 3月19日:卒去(右大弁正四位下)[6]
系譜
脚注
参考文献
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