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滋賀重列
建築家 ウィキペディアから
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滋賀 重列(しが しげつら、1866年7月27日(慶応2年6月16日[1]) - 1936年(昭和11年))は、日本の建築家。
人物
イリノイ大学留学後、東京高等工業学校(現東京工業大学)の建築科創設に関わり初代建築科長。1903年(明治36年)『建築雑誌』に発表した「住家(改良の方針に就いて)」は、日本における先駆的な住宅改良論として知られている。住宅産業の草分けであるあめりか屋の顧問もつとめ、明治・大正期において日本の住生活水準の向上に貢献した。
略歴
学位
- 1905年 マスターオブアーキテクチャー(イリノイ大学)
作品
家族
- 父・滋賀重身 ‐ 徳大寺実則侯爵の家扶[4]。重列はその長男[5]。滋賀家は代々徳大寺家の侍。
- 母・ため(1843-) ‐ 雅楽師・多忠愛の二女。[5]
- 前妻・はる(1877-) ‐ 建築家・木子清敬の二女。一男三女を儲ける。[6]
- 後妻・末(1878-) ‐ 徳大寺家諸大夫・堀川師克の妹。姉の夫に男爵上田宗雄、姪の夫に滋岡長彦。[5][7]。夫没後は重列設計の杉並の自邸で家政婦と二人で暮らした[8]。
- 養子・重守(1894-) ‐ 多忠龍の長男。いとこ(母ための甥)。[5]
- 弟・滋賀秀修(1869-) ‐ 予備海軍中佐[5]。娘婿に瀧本義一[9]。
- 孫・中島公子 ‐ 三女・梅子の二女[10]。仏文学舎。夫に中島昭和。[3]
- 曾孫・中島さおり、中島京子 ‐ ともに文筆家
脚注
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