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炊飯器

米を炊いて飯にするための調理器具 ウィキペディアから

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炊飯器(すいはんき)とは、を炊いてにするための調理器具。電気炊飯によるもの(電気式)とガス炊飯によるもの(ガス式)がある[1]

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象印製電気炊飯器

概要

日本では炊飯器が開発されるまで(かまど)による炊飯が一般的だったが、土間などの場所が必要であること、炊飯中も人の管理が必要であること、炊きあがったご飯をおひつに入れ替えることが必要であることなど炊飯作業には労力が必要であった[2]。しかし、電気炊飯器の誕生により、家事労働の労力の軽減が図られ[2]、ライフスタイルを一変させた[3]

一般に普及するに至る自動炊飯器は、高度経済成長期1955年に東京芝浦電気(現在の東芝)から世界で初めて発売された[4]

日本で自動炊飯器が発明に至った背景として、日本人にとって米は重要な主食で炊きあがり方にも細かな拘りがあり、また伝統的な「かまど」による炊飯が重労働であったことや、創意工夫する家電メーカーが多数登場し、自動炊飯器を生み出す文化的素地があったことが挙げられる[5]

電気式で家庭用の、いわゆる白物家電に属する炊飯器は、1955年の発売当初は日本国内でのみ製造・販売・購入されていた。日本食ブームに乗って欧米へ、またアジア諸国の米飯を食べる地域でも家庭所得の増大と省力化の波に乗って輸出され、後に現地生産、さらには日本への輸出もされるようになっている。

さらに単身世帯の増加や個食化により、1合以下の少量でも炊飯できる電子レンジ用炊飯器や、電気式ライスクッカー(ミニ電気炊飯器)、ガスコンロ用炊飯鍋も市場に出回り、選択の幅が広がっている。

大量炊飯の場合は、炊飯中の蒸発率が少量炊飯のときに比べて少ないため、米重量に対する加水率を低くする必要があり、このために沸騰までの時間が長すぎると沸騰時にはほとんどの水が米に吸収されて炊きむらの原因となる[6]。そのため、機器を用いる場合には、強い火力が得られるガス式の業務用炊飯器や保温性の良い竪型炊飯器が使用されたが、電気炊飯器でもIH方式の業務用大型機種が開発されている[6]

なお、日本では「ジャー炊飯器」として家庭用品品質表示法の適用対象となっており電気式のものは電気機械器具品質表示規程に定めがある[7]

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電気炊飯器

要約
視点

方式及び機能

1955年(昭和30年)に自動電気釜が登場したが、一定電力で通電を行い、水が無くなったところで機械スイッチで通電を遮断(制御)する方式は機械式炊飯器と呼ばれる[8]。機械式炊飯器の加熱方式はヒーターの熱を熱伝導で内鍋に与える直接加熱方式である[8]

1979年(昭和54年)には、直接加熱方式をとりながら、鍋底や蓋の内部に取り付けた温度センサの情報をもとにマイコンで通電量を制御するマイコン式炊飯器が登場した[8]

さらに1988年(昭和63年)には、マイコンによる制御をしながら、加熱方式をコイルによって内鍋に渦電流を発生させて電気抵抗で加熱する電磁誘導加熱方式(Induction Heating、IH)IH式炊飯器が登場した[8]。さらにIH式に圧力釜を併用したものもあり、より高温高圧(1.4気圧110°C程度で炊飯できる。また、スチームによって加熱・保温するものも出ている。

なお、これらとは別に産業用のものがある[9]。業務用においては、3升程度のものまであり、マイクロ波式のものもある。

機能面では、後述のように自動電気釜は当初は炊飯機能のみで保温機能が無かったため、おひつか後に開発された保温機能のみの電子ジャーに移す必要があったが、1970年代に炊飯器自体に保温機能が追加された[10]。なお、2000年代までに機械式以外の炊飯器で保温機能を有さないものは市場に存在しなくなった[9]

内釜には、熱伝導率の高いダイヤモンドなどを張り合わせたり、遠赤外線を放射する炭やセラミックを使ったり、ディンプル加工をしたりして蓄熱性を持たせたり、真空断熱によって発熱効率を上げかつ省電力で保温できるようにしたりといった工夫も行われている。その他、耐久性を上げるため、フレームにアルミダイキャストを使ったものや、内釜に特殊コーティングを施して内釜の長期保を行っているものが存在する。逆に、炭素や陶器など、素材によっては割れやすい釜も存在する。

高級機には炎の揺らぎによる加熱ムラを再現した製品や、ユーザーが米の銘柄や食後の感想を入力するなどして加熱制御を最適化したり、IoTに対応する製品もある。

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多機能化

普通の飯だけでなく、おこわなども美味しく炊けるような付加価値をつけているものも多数あり、さらに機種によってはパンを焼き上げる機能や、パン生地、ヨーグルト発酵に適した温度を維持する機能なども付加されている場合もある。

2020年代に入り、糖質カット機能を有した炊飯器が販売されるようになったが、虚偽であることが判明。景品表示法違反として消費者庁が4社に措置命令をだした[11]

なお、調理家電では煮る、焼く、蒸す、揚げるなどの調理ができるマルチクッカーが登場しており、その中には炊飯機能を有するものもある[12]

歴史

電気釜の出現

電気で炊飯する考え方は、大正期には存在しており、京都電灯1915年(大正4年)から1916年(大正5年)頃に営業用の「めしたき器」を作っていたとする文献があるほか[3]1918年(大正7年)から1919年(大正8年)頃にかけては家庭用の開発も考えていたとされる[3]

電気で炊飯する方式としては、かまどを電化するタイプと、釜自体を電化する二つの系統があった[3]

1921年(大正10年)には東京の鈴木商会が鍋に電熱器を組み込んだ「炊飯電熱器」を発売した[13]。また、1922年(大正11年)には芝浦製作所(後の東芝)が電気釜の量産を開始し、1927年(昭和2年)には芝浦電気カマドと万能電気カマドを発売した[13]

1923年(大正12年)には三菱電機が電気釜「NJ-N1」を発売したが[14][15][注 1]、当時一般家庭には電気釜は普及しておらず、主に船舶用として使われていた[14]

1920年代半ばには、二重釜とし、内部に発熱体を組み込んで釜自体を電化する方式が主力となり、特に三菱電機の二重釜が代表的な方式となった[3]

三菱電機は1932年(昭和7年)にも電気釜を発売したとされ、第二次大戦後、1954年(昭和29年)には松下電器が軽便炊事器を発売した[13]。しかし、いずれの機器も鍋に電熱器を組み込んだ単純な構造で、スイッチも手動式で時間の短縮にはつながらずほとんど普及しなかった[13]

なお、大日本帝国陸軍1937年に制式採用した九七式炊事自動車には炊飯櫃という原始的な電気炊飯器が装備されていた。これは四角い木製の箱の両端に電極を付けたものである。炊飯櫃の中に研いだ米と水と少量の食塩を入れて電極に通電すると、中の水が通電により発熱して炊飯を行う。そして米が炊きあがると、水分が減少するため抵抗値が上昇して発熱量が少なくなり、そのまま保温に移行するという原理であった。しかし、この方式では水の種類や米の研ぎ加減によって発熱量が変化して炊き加減がばらつく上に、感電の危険が大きく、家庭用とするには不向きであった。[要出典]

家庭用の電気炊飯器は、初期の開発中のものは、単にヒーターで加熱し一定温度になると切れる、という単純な構造のものであった。だが、この方式では外気温の影響を受けやすい(加えて日本では四季により季節の寒暖の差が激しい)ことから、炊き上がりにばらつきがあった。各メーカーは失敗続きのまま、試行錯誤を繰り返していた。この段階では櫃の中に電熱線を入れ込んだ試作機すらみられた。これについては東京通信工業(現在のソニー)が設立当初に取り組んでいる[16]。また1950年代には熱源が練炭で、炊きあがりを電気式のブザーで知らせる練炭炊飯器も存在した[17]

自動炊飯器の開発

東芝では1950年(昭和25年)に、食生活の主体は米食であり電気釜の開発に取り組む価値があるとし、三菱式の欠点を改良して自動式とし、1953年(昭和28年)の発売を目指して開発に取り組むこととなった[3]。ところが、三菱式の二重釜・直接炊き方式が頭から離れず、松下電器が直接炊き方式の製品を出したことから開発は一時棚上げとなった[3]

その3年後、東芝では自動化が再検討されることとなった[3]。この間、1951年(昭和26年)頃から東京の町工場である「光伸社」は、東芝が発注する電気ストーブ、電気コンロ、トースター、アイロンなどの組み立て受注を開始した[15]。「光伸社」の三並義忠は東芝で家庭電気部長を勤めていた松本尚成と旧知の仲で、松本に対して圧力釜の研究をしていることを話したところ、圧力釜は電化製品でないので電気釜を開発してはどうかと持ち掛けた[15]

この光伸社の三並義忠が最初に実用的な電気炊飯器(自動式電気釜)を発明した人物として知られることとなる[15][18][19]。なお、東芝は光伸社以外に桂川電機にも自動電気釜の開発を持ち掛けており、桂川電機は光伸社とは違うアイデアで開発を進めていたが未完成に終わった[15]

三並義忠が自動電気炊飯の研究を開始したのは1953年(昭和28年)である[15]。まず、東芝の山田正吾が料理教室を主催する岡松喜与子による示唆を受けて、炊飯におけるアルファ化は98度以上であれば20分で完了する点に至った。

加熱の維持については、炊飯釜と加熱釜の間に水を入れる二重釜にすることで、釜の間の水を沸騰させれば炊飯釜を100度に保つことができたが、それでは熱くて触れられないため三重釜を開発することとなった[15]。問題は加熱時間で、他社製品はタイマー式であったが、同じ米の量、水加減でも電気釜の置かれる温度環境によって必要な加熱時間が異なり炊きムラが生じる問題があった[15]。水量や外気の関係でタイムスイッチでは不可能であり、サーモスタットを利用するとして、窯の中で水分が減少し釜の温度が上がるタイミングでは焦げてしまう。これを解決するための間接中炊き、つまり20分で蒸発する量の水を釜と釜の間に入れ、釜底の温度が確実にあがった段階でサーモスタットが入る仕掛けが考案され、協力会社にて実証された[20]

炊飯器の試作品を用いた米飯の試食や記録は三並の親族や光伸社の社員総出で行われた[15]。こうして1955年(昭和30年)に自動電気釜が完成したが、三並と光伸社は東芝以外にも売り込むことを考えており、日立とは実際に折衝も行われた[15]。最終的に東芝から発売されることとなったが、外装デザインの修正が入り、工業デザイナーの岩田義治が手掛けたものとなりグッドデザイン賞を受賞した[15]

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東芝の「自動式電気釜」の広告(1956年)

こうして同年12月に自動式電気釜という名で東京芝浦電気(現在の東芝)から発売された[4]。容量1.1リットル炊きで価格は3200円であった[21]。二重釜の外釜に水を入れて加熱し、水が蒸発したところでサーモスタット(温度検出スイッチ)により電源を切る仕組みから「二重釜間接炊き」とも称される[4]。ただ、先述のように構造全体では三重釜であり、特許上の名称は「三重電気自働炊飯器」である[15]。なお、炊飯に関する特許は明治時代から、電気による自動炊飯の特許も大正時代から存在する[15][注 2]。しかし、初期に特許を取得した自動炊飯機構は、外気温や米と水の分量に対応する一定条件の炊飯の学習が必要で、その学習結果を制御器に設定して加熱時間を均一化することを「自動」と呼んでおり、いつでもどこでも誰でも同じ炊き上がりを実現させる三並のアイデアには程遠いものだった[15]

東芝は製品が売れるか懐疑的で最初に用意した台数は400台だった[15](東芝内では製品化する際、「寝ている間に米を炊こうなどという女と結婚したいのか」と製品化に反対、または製品化しても売れないという声もあった)[22]。普及に貢献したのは東芝で開発課長を務めていた山田正吾で、実演付き講習会を催し、どのような環境でもスイッチ一つで美味しいご飯が炊けること、炊飯中に見守る必要ないこと、アレンジした炊飯メニューも炊飯可能であることをアピールした[15]。その結果、東芝電気釜は1956年度(昭和31年度)に月1,000台、翌年には月1万台、最盛期には月20万台を売り上げた[15]

三並と光伸社は新製品の販売について東芝以外に日立とも折衝したが(先述)、このときの交渉担当者は光伸社を辞めて会社を起こして日立と技術提携を行った[15]。そして東芝の発売からまもなく日立も外側がアルミ製の小型の自動式電気釜を発売した[15]

1956年(昭和31年)には松下電器が自動炊飯器を発売したが、直火式を採用したため「おこげ」ができた[15]。そのため「おこげ」のある炊飯の方が美味しいと宣伝されたが、この広告を見た三並は「おこげ」ができてしまうことを逆に良いこととして宣伝利用する松下幸之助に感心したという[15]

電気炊飯器の改良

1950年代に自動の炊飯器が開発された後も、保温機能は欠いていたため、おひつに移す作業が必要だった[10]。こうした中で1965年(昭和40年)には象印マホービンが電気で保温する「電子ジャー」を発売した[10]。その後、三菱電機1967年(昭和42年)に保温機能を備えた炊飯器を発売した[10][23]。以後、ジャー炊飯器(保温釜)と従来の電気釜(炊飯器)は別々に並行して販売されたが、保温機能のない電気釜は次第に市場から駆逐された[13]

炊飯器の開発史で目標とされてきた点は、加熱力の向上、全周囲からの加熱、加熱力の継続、圧力の利用である[13]。1955年(昭和30年)に東芝が発売した自動式電気釜は間接加熱式を採用したが、後続のメーカー直接加熱式を採用した[13]。しかし、これらの方式は炊飯中の水の循環が悪く、内鍋の底のほうは柔らかく、上部は少し硬めになるという欠点があった[13]。そこで1978年(昭和53年)には東芝が内鍋の側面からも熱水による対流が発生する輻射加熱式を採用し、以後は輻射加熱式と直接加熱式に二分された[13]

電気釜の普及率は1962年(昭和37年)には50%に達したが、ガス釜と競合するようになり、1970年(昭和45年)に電気釜は抜かれた[13]。しかし、IH釜の登場後、2010年代には大半がIH釜となった[13]

1979年(昭和54年)には松下電器がマイコンジャー炊飯器を発売した[13]。これは鍋センサー、蓋センサー、保温センサーなどのセンサーとマイコンで加熱量や加熱時間を制御するものである[13]。初期のマイコンジャー炊飯器は浸しの自動化とおこげ調整程度にとどまっていたが、次第に多機能化して白米コースのほか、玄米コース、炊きこみ・おこわコース、おかゆコースなどが加わった[13]

1980年代末には早くもIH方式による加熱を採用した機種も登場した[24]

1990年代には、中国で、機能は限られるが安価な炊飯器が大量に生産されるようになり、日本を含む各国に輸出されるようになった。このため、日本のメーカーは商品の機能を増やすなど、付加価値をつけることで対抗することとなった。

2000年代になり、内釜に金属以外の素材を使用し、遠赤外線の作用などによって、ご飯の風味が良くなることを特徴とした高級品が出現し、注目を集めている。

生産量

2005年の世界の家庭用電気炊飯器の生産量は約8500万台といわれ、内、中国が約6000万台で、大多数は広東省湛江市廉江市で製造されている。他は、日本韓国が主な産地である。

ちなみに、中国語では「電飯煲」というが、これは本来広東語の言い方で、最後の漢字も方言字であるが、広東省が生産基地のため、従来の「電飯鍋」という言い方を淘汰させてしまったものである。

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ガス炊飯器

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ガス炊飯器(家庭用)

仕様

炊飯釜を約1200度のバーナーによる直火で熱するのが特徴で、IH炊飯器に比べ複雑な機構が必要なく、調理時間もやや短い[25]ガスコンロ上に炊飯釜を乗せた形状のため、同容量の電気炊飯器に比べ全高は高くなる。都市ガス(12A・13A)用とプロパンガス(LPG)用があり、同じ機種でも燃料ごとに型番が異なる。

業務用炊飯器

飲食店などの業務用は、ほとんどの場合ガス炊飯器やガスを使った大型の器具で[注 3]、数十合(数升=数リットル)を一度に炊ける容量を持つ。こちらは炊き上がりよりも所要時間の短縮に注力される場合が多い。また、釜の形状も積み重ねができるものがあるなど、家庭用と違う需要に応えられるようにデザインされている。

なお、ガス炊飯器でも電気によって放電点火する方式のものや、保温できる機能を付加機能として備えているものもある。

歴史

日本国内でのガス炊飯器は、1902年(明治35年)に「ガスかまど」が開発され[26][注 4]、改良を重ねながら各ガス会社により1960年代まで販売された。味にこだわる一部の料亭などでは現在でも使用されている[27]

1957年(昭和32年)にはガス自動炊飯器が開発され、1979年(昭和54年)になると電子ジャー(保温機能)付きガス炊飯器も登場。

1991年(平成3年)には、かまどでの炊飯を忠実に再現した家庭用高級機「αかまど炊き」が発売され、マイナーチェンジされながらロングセラーとなった。

2011年東北地方太平洋沖地震東日本大震災)以後、節電意識の高まりや電気料金の値上げが相次いだことから、炊飯時に電力消費量の少ないガス炊飯器に注目が集まり、一時的に品薄状態となったり、当初予想を大幅に越える出荷数を記録した[28]

2012年(平成24年)には、21年ぶりにフルモデルチェンジされた「直火匠(じかびのたくみ)」(リンナイ東京ガス大阪ガス東邦ガス共同開発)が販売開始されている[28]。各地域のガス会社との共同開発のため、「地域的な好み」を乗り越えての開発となった[29]

他の熱源を利用する炊飯器

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電子レンジ用炊飯器

単体では炊飯できないが、他の調理機器のエネルギーを利用することで炊飯する調理器具も、炊飯器と呼ばれることがある(「電子レンジ用炊飯器」など)。ただし、ガスレンジやIHクッキングヒーターを用いるものでは、同様のものでも「炊飯鍋」と呼ばれることが多い。

主な製造メーカー

脚注

関連項目

外部リンク

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