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熊翁博
日本の力士 (1965-1997) ウィキペディアから
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熊翁 博(くまおう ひろし、1965年10月2日 - 1997年10月6日)は、埼玉県熊谷市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 洋之(さとう ひろゆき)。得意手は押し、諸差し、寄り。身長176cm、体重118kg。最高位は東十両5枚目(1990年11月場所)、血液型はB型。
人物
溶接工の長男で、小学5年生から6年生の間は地元のソフトボールチームに所属して投手兼主将を務めた。熊谷市立別府中学校ではバレーボール部に所属し、3年次には陸上競技にも打ち込んだが、自身は高見山のファンで力士を志願しており、高砂(元横綱・朝潮)にも直接入門志願の手紙を出していた。高砂に部屋の見学に招待されて赴いた後に入門を決意し、中学卒業と同時に高砂部屋に入門。1981年3月場所に初土俵を踏んだ。当初は体重が80kg台しかなかったが、連日の稽古で諸差しからの速攻相撲を磨き、小兵を補っていた。当初は本名をそのまま四股名としていたが、1983年3月場所から高見洋の四股名を名乗り、1987年3月場所以降熊翁の四股名を名乗った。熊翁を名乗って間もない時期は三段目に2回陥落するなど苦労していたが、1988年9月場所で幕下優勝。その後2場所連続で負け越して幕下下位からの出直しを余儀なくされたものの、1990年3月場所に十両に昇進した。同場所同時に十両に昇進した力士は、後に横綱となる曙と若花田(後の若乃花)である。同場所は5勝10敗と負け越して幕下に陥落したが、2場所で十両に復帰、以降も十両の中位でコンスタントな成績を修めていた。諸差しが得意であったが、前に出る押し相撲も得意としていた。また、歌舞伎役者のようなきりっとした顔と、上述のような小兵とは思えない取り口で、女性からの人気も高かった。1991年3月場所に左眼球を負傷し途中休場して、翌場所以降も無理をして出場し十両の座を維持していたが1993年5月場所で幕下に陥落して以降、関取に在位することは無く、1994年3月場所を途中休場し、同場所を最後に廃業した。
廃業後、兄弟子の奄美富士が経営するちゃんこ料理店で修行し、翌1995年から故郷・熊谷市に「相撲茶屋 熊翁」を開店した。店の経営が軌道に乗り出した矢先の1997年10月6日に交通事故により32歳の若さで急死した。ちゃんこ店は熊翁の没後、長く熊翁の付け人を務めていた元幕下・火の竜が引き継ぎ[1]2020年2月まで営業を続けた。
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主な戦績
- 生涯成績:328勝328敗10休 勝率.500
- 十両成績:98勝125敗2休 勝率.439
- 現役在位:79場所
- 十両在位:15場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1988年9月場所)
場所別成績
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改名歴
脚注
関連項目
外部リンク
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