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片岡我當 (5代目)

日本の歌舞伎役者 ウィキペディアから

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五代目 片岡 我當(ごだいめ かたおか がとう、1935年1月7日 - 2025年5月11日)は上方の歌舞伎役者。屋号松嶋屋定紋は七つ割丸に二引、替紋は五枚銀杏。俳名に壽蘭。本名は片岡 秀公(かたおか ひできみ)[1]

概要 屋号, 定紋 ...
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人物

十三代目片岡仁左衛門の長男として[1]東京に生まれる。同志社大学工学部卒業。

1940年10月、大阪歌舞伎座で片岡秀公の名で『堀川』のおつる役で初舞台[1]。戦後は父、兄弟と共に関西に本拠地を移し、「七人の会」、「仁左衛門歌舞伎」に参加。

1971年、大阪新歌舞伎座で『桜時雨』の三郎兵衛、『二月堂』の良弁で、五代目片岡我當を襲名[1]。その後、父、弟や三代目實川延若三代目中村鴈治郎らとともに関西歌舞伎の復興に活躍、大阪府民劇場賞を受賞する。また、父のすすめで菊五郎劇団に加わり、江戸歌舞伎を学んだ。

立役荒事敵役老役などをこなし、堂々とした体躯と張りのある口跡を持つ堅実な芸風である。『夏祭』の三婦、『輝虎配膳』の長尾輝虎、『封印切』の八右衛門、『時平の七笑』の時平公、『沼津』の平作、『松浦の太鼓』の宝井其角などが当り役。

2025年5月11日、肺炎のため東京都内の病院で死去。90歳没[2]

弟には二代目片岡秀太郎十五代目片岡仁左衛門がおり[1]、我當は片岡三兄弟のまとめ役としても重要な役割を果たしている。長男は片岡進之介[1]

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出典

外部リンク

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