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片岡仁左衛門 (15代目)

日本の歌舞伎役者 (1944-) ウィキペディアから

片岡仁左衛門 (15代目)
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十五代目 片岡 仁左衛門(かたおか にざえもん 1944年昭和19年〉3月14日[1] - )は、日本歌舞伎役者。歌舞伎名跡片岡仁左衛門」の当代。屋号松嶋屋定紋七つ割丸に二引替紋追っかけ五枚銀杏日本芸術院会員[1]重要無形文化財「歌舞伎立役」の各個認定の保持者(人間国宝)、文化勲章受章者。

概要 屋号, 定紋 ...

前名は本名の片岡 孝夫(かたおか たかお)で、これを半世紀近くにわたって名乗り続けていたせいもあって、「仁左衛門」の大名跡襲名した今日にあっても彼を「孝夫」と呼ぶ人は多い。なおサインには、「片」の字は4画目の書き出しが1画目の左側に突き出た書体[2]、「岡」の字は異体字の「罡」を用いて書いている。

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概要

現代の歌舞伎を代表する人気歌舞伎俳優。すらりと背が高く色気のしたたるような二枚目なのに、いつも気取らず気さくで、長きにわたって「片岡孝夫」という普通の本名で舞台に上がり続けるそのギャップ。しかも若い頃からその芸には定評があり、21歳で『女殺油地獄』の河内屋与兵衛を初役で勤めると大絶賛されて一躍その名が知られるようになったかと思えば、『桜姫東文章』の清玄/釣鐘権助が相方の五代目坂東玉三郎の桜姫と見せた妖艶な絡みは「この世のものとは思えぬ美しさ」と大評判となり、孝玉(たかたま)のコンビは一世を風靡してそれまで歌舞伎鑑賞とはあまり縁のなかった主婦やOLを新しい客層として取り込むに至った。そうした確かな実績と幅広い人気から、梨園では大名跡のほとんどが長男から長男へと継承されるのが半ば常識なところ、父十三代目片岡仁左衛門と松竹会長永山武臣の強い推しにより、孝夫は兄二人を差し置いて一門宗家の片岡仁左衛門を襲名することになった。

爽やかな芸風で『女殺油地獄』の河内屋与兵衛、『伊賀越道中双六』「沼津」の呉服屋十兵衛、『菅原伝授手習鑑』「道明寺」「車曳」の菅丞相など義太夫狂言立役はもちろん、『小袖曾我薊色縫』(十六夜清心)の鬼薊清吉、『恋飛脚大和往来』「封印切」「新口村」の亀屋忠兵衛、『助六曲輪花初櫻』の花川戸助六、『廓文章』(吉田屋)の藤屋伊左衛門など江戸上方の役を演じわけ、さらに『桜姫東文章』の清玄/釣鐘権助などの大南北生世話物や、『桐一葉』の木村重成などの新歌舞伎、『再茲歌舞伎花轢』「お祭」などの歌舞伎舞踊まで、幅広い芸域を持っている。兄たちや四代目坂田藤十郎らと関西歌舞伎の復興に力を入れていた。映画やテレビ出演も多く、時代劇のみならず現代劇のミステリーものなどでも個性を発揮した。

長男は歌舞伎役者の片岡孝太郎、長女は宝塚歌劇団の男役スターとして活躍した汐風幸(片岡サチ)。次女は女優片岡京子。孫は片岡千之助[3]

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年譜

顕彰

各賞

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2018年の文化功労者顕彰に際して公表された写真

栄典

出演作品

歌舞伎の当たり役

テレビドラマ

映画

舞台

バラエティほか

CM

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書籍

著書

  • 『とにかく芝居がすき』、大和書房、1981年
  • 『あなたと京都へ 片岡孝夫のとっておき古都案内』(ライフ・カレント)、PHP研究所、1984年
  • 『十五代目片岡仁左衛門 片岡孝夫の軌跡』、淡交社, 1998.2
  • 小松成美共著『仁左衛門恋し』、世界文化社、2002年(徳間文庫カレッジ、2014年)
  • 篠山紀信関容子共著『十五代目片岡仁左衛門』(芸談)、小学館、2009年

関連書

  • 宮辻政夫『花のひと 孝夫から仁左衛門へ』、毎日新聞社、1999年
  • 篠山紀信『十五代目片岡仁左衛門』(写真集)、小学館、2009年
  • 宮辻政夫『仁左衛門花実抄』、法藏館、2025年

補注

関連項目

外部リンク

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