トップQs
タイムライン
チャット
視点
Kiroro
日本の女性2人組音楽ユニット ウィキペディアから
Remove ads
Kiroro(キロロ)は、日本の女性二人組音楽ユニット。所属事務所はビクターミュージックアーツ、所属レコード会社はビクターエンタテインメント。
メンバー
来歴
要約
視点
1995年結成。沖縄県立読谷高等学校の同級生であり、放課後の音楽室で玉城がオリジナル曲をア・カペラで歌っていたところに、金城が伴奏をつけて遊んでいたのが結成のきっかけ[2]。
Kiroroという名の由来は、玉城が小学生の頃、地域交流で北海道池田町に行った際、なんとなく耳に残ったアイヌ語の“kiroru(人間が踏み固めた広い路の意[6])”“kiroro-an(強い・健やか・盛ん・大きい・かたくなの意[7])”という言葉を参考に意味や響きに魅かれグループ名をKiroroに決定する[8][2]。
その後、玉城が長崎ウエスレヤン短期大学、金城が医療事務の専門学校に進学し、在学中の1996年にインディーズ・デビュー。沖縄限定で発売されたインディーズデビュー曲「長い間」は、地元沖縄のローカルCM(「安信輸送サービス」の引越CM)にも使われ、県内で1万枚以上を売上[9]。
楽曲制作を手掛けているのは主にボーカルの玉城。玉城は作詞・作曲の才能はあるものの、ピアノはあまり弾けず、書く音符も暗号のような状態である。それを、ピアノが弾ける金城が玉城の「暗号」を解読するような形で活動を始めた。ただし活動が進むに連れ、金城の作詞・作曲のものや玉城が作詞/金城が作曲というものも登場するようになった。
1998年1月21日にシングル「長い間」でメジャーデビュー。同年、第36回ゴールデン・アロー賞音楽新人賞を受賞。1998年・1999年・2001年にはNHK紅白歌合戦に出場。
2004年10月からコミュニティFMラジオ放送に向けたレギュラー番組「hot pot Kiroro」をスタート。
2005年1月17日に公式サイト上で玉城が沖縄県出身の一般男性との婚約を発表、同年4月17日(玉城の28歳の誕生日)に結婚。同年5月24日には金城がレストランプロデューサーの男性と結婚。
2人共に子沢山であることでも知られ、金城が2005年11月に長女を出産したのを皮切りに、2006年2月には玉城も長男を出産、2007年3月に玉城がウェブページ上にて第2子を妊娠したことを報告、同年9月に長女を出産。2008年8月、金城がウェブページ上にて第2子を妊娠したことを報告、2009年3月に長男を出産。この金城の第2子出産と時を同じくして、玉城がウェブページ上にて第3子を妊娠したことを報告、2009年9月に次女を出産。2010年10月には金城がウェブページ上にて第3子を妊娠したことを報告、2011年3月に次男を出産。互いに出産を繰り返し、音楽活動も定期的に休止するこのスタイルは、収入にあまり困っておらずハードな仕事を避けたい2人の考えとの向きもある[10]。
2011年8月7日、玉城が浜離宮朝日ホールで初のソロコンサートを行う。
2011年10月19日に玉城がソロデビュー・シングル「神様」、同11月23日に1stアルバム『Brand New Days』をリリース。
2013年4月26日、金城がウェブページ上にて離婚を発表。
2015年、HYの仲宗根泉と合同の新ユニット「さんご」を結成。デビュー作「いのちのリレー」はNHK沖縄放送局の終戦70年キャンペーンのテーマソングとなった[11]
デビュー20周年の2018年、1月24日に12年ぶりとなる7枚目のオリジナル・アルバム『アイハベル』を発売。5月から5都市を回るツアーを行い、本格再始動[12]。同時期、ビクターの内部レーベルColourful Recordsへ移籍。
Remove ads
ディスコグラフィ
要約
視点
シングル
インディーズ
メジャー
アルバム
フル・アルバム
ミニ・アルバム
ベスト・アルバム
映像作品
その他
- 僕らはヒーロー(1996.6.26リリースのオムニバスアルバム『KID'S MUSIC BOX Vol.4』の4曲目に収録)
Remove ads
出演
テレビ
ラジオ
NHK紅白歌合戦出場歴
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads