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生出村

日本の宮城県名取郡にあった村 ウィキペディアから

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生出村(おいでむら)は、昭和31年(1956年)まで宮城県名取郡北部にあった村。現在の仙台市太白区茂庭・坪沼および茂庭台など(一部青葉区域)にあたる。

概要 おいでむら 生出村, 廃止日 ...

地理

歴史

初期の村政(地方改良運動)

明治22年(1889年)4月1日、町村制の施行にともない生出村が発足する。長尾四郎右衛門が初代村長に就任する。四郎右衛門は茂庭の旧領主である生出小学校校長・茂庭秀福の助力を得て、村の振興策を推し進めていく。

明治25年(1892年)、馬越石トンネルを開削。明治26年(1893年)、村会において「本村養蚕業奨励法」を成立させ、明治29年(1896年)に製糸工場を設立、原料生産から製品販売までを一貫して行う体制を整えた。また、山林資源の主な利用法を薪炭利用から木材利用へ転換。針葉樹の植林事業を展開し、明治40年には150万本を植樹した。これらの産業振興策によって村民所得は大幅に増加し、補助金に依存しない自立した村政運営を達成した。さらに、村民の生活水準が向上したことと、校舎の整備などで施設面を充実させたことで、学童就学率をほぼ100%に近づけることに成功している。

明治35年(1902年)2月に策定された「宮城県名取郡生出村村是調査書」は、明治36年(1903年)の第五回内国勧業博覧会において好評を博した。これが前田正名の目にとまり、生出村の村是は郡是・市町村是の模範的事例として紹介され、生出村は千葉県山武郡源村静岡県賀茂郡稲取村と共に日本三模範村として盛んに宣伝された。

明治38年(1905年)5月1日には「行道会」を設立。役場と学校が一体となって社会教育・農事改良にあたり、女子部では家事・看護・育児などの指導にあたった。

沿革

  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、茂庭村及び坪沼村の区域をもって、生出村が発足する。村名は太白山の別名・生出森(おいでもり)より命名。
  • 昭和31年(1956年)4月1日 - 仙台市に編入する。
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行政

首長

  • 歴代村長
さらに見る 代, 氏名 ...

地域

教育

交通

鉄道

参考文献

  • 平成『仙台市史』(宮城県仙台市)
    • 通史編6〔近代1〕(2002年)
    • 資料編8〔近代現代4〕別冊資料(2006年)

関連項目

外部リンク

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