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田原源一郎

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田原 源一郎(たはら げんいちろう、1929年12月9日[1] - 2007年1月4日[3])は、日本実業家馬主、元カーレーサー

概要 たはら げんいちろう 田原 源一郎, 生誕 ...

東京都台東区元浅草にある広告物製作業を手がける株式会社田原屋の代表取締役を務めた。

経歴・人物

1929年東京都出身[2]早稲田大学を卒業後株式会社田原屋を設立した[2]。全日本旗業連合会会長、東京旗商業協同組合理事長を歴任[2]2007年1月4日肺炎のため死去[3]。77歳没。

かつてはカーレーサーとして活躍。1963年第1回日本グランプリでは国内スポーツカーB-IIクラス(1300cc - 2500cc)にダットサン・フェアレディ1500で出場し、優勝する。SCCN(ニッサンスポーツカークラブ)の初代会長であり、1965年以降は日本自動車連盟 (JAF) 内の各委員会の委員、委員長を務めた。1995年にはその功績によりJAFモータースポーツ名誉委員の称号が贈られている。

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田原が操縦したダットサン・フェアレディ1500

馬主活動

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「桃、黒蛇目散、桃袖」の勝負服を着用したクリストフ・スミヨン

日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は桃、黒蛇目散、桃袖。冠名には自身が育った浅草の地から「アサクサ」を用いた[5]。存命時は一般社団法人東京馬主協会相談役[3]

2005年にはアサクサデンエン安田記念を制し、馬主となってから40年目にして最初で最後のGI制覇となった[5]

死去後、所有していた競走馬と勝負服の服色は妻の慶子に引き継がれた[注 1]。死去から約1か月後の2月11日にはアサクサキングスきさらぎ賞を制し、のちに菊花賞にも勝利している。その後、慶子も2024年10月11日に死去していたことが『優駿』の吉川良による連載エッセイで明かされており、現在は娘の櫻井素子が馬主活動を引き継いでいる[6]

主な所有馬

GI競走優勝馬

重賞競走優勝馬

田原慶子の所有馬

GI級競走優勝馬
重賞競走優勝馬

脚注

関連項目

参考文献

外部リンク

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