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田名部館

青森県むつ市にあった城 ウィキペディアから

田名部館map
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田名部館(たなぶだて)は、青森県むつ市小川町にあった日本の城[1]。中世から近世の平山城で、二重の空堀遺構として残っている。館跡は代官山公園として整備されている[3]

概要 logo田名部館 (青森県), 別名 ...

沿革

建武年間(1334年-1338年)の頃、八戸根城の南部師行が家臣の武田修理、赤目五郎を目代として置いたところといわれる。

康正年間(1455年-1457年)、蠣崎城主・蠣崎信純(蠣崎蔵人)が南部氏に背いた際、糠部郡宇曾利郷(下北半島)が蠣崎氏の配下になったため、田名部館も南部氏の攻撃を受けた(蠣崎蔵人の乱)。

乱後に根城(八戸)南部氏家臣・新田盛政が城代となり、その後、八戸氏の属城となる。また慶長年間(1596-1615年)に八戸直政の室、清心尼が田名部北方の女館にいたが、元和3年(1617年)に南部利直が根城南部氏から下北の支配権を接収した。

寛文9年(1672年)のころ、館下の常念寺を代官所としていたが、寛文13年(1673年)頃に、館のある場所に田名部代官所が移されて明治に至る。

戊辰の役後、明治元年(1868年)、南部藩の北郡三戸郡二戸郡金田一以北は削封され、翌2年(1869年)、陸奧国3万石として会津藩が移封し斗南藩として田名部に移ったが、明治4年(1871年)に廃藩となった。

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脚注

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参考資料

関連項目

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外部リンク

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