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申在範
韓国のサッカー選手 ウィキペディアから
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申 在範(シン・チェボン、신재범、1971年9月27日 - )は、東京都出身の在日朝鮮人の元サッカー選手、サッカー指導者。 日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。
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経歴
東京都足立区[2]にて在日朝鮮人三世[2]として生まれる。小学校から一貫して朝鮮学校で育ち[3]、大学も朝鮮大学校に進んだが、半年ほどで退学してサッカー留学でブラジルに渡る[4]。ブラジル時代には広島で開催されたユニバーシアードに出場する北朝鮮代表チームに招集されたが、直後に肝炎を患ったため大会には出場できなかった[5]。
1992年4月、東日本JR古河サッカークラブ(同年よりジェフユナイテッド市原。現・ジェフユナイテッド千葉)の入団テストを受け、240名の志願者の中からただ1人合格する[6][7]。あわせてJリーグの通称「在日枠」の適用条件を満たすため、東京都立上野高等学校の通信制に通い、高卒資格を得る[8][9]。朝鮮学校出身でJリーガーとなった選手は申が初めてだった[10]。
1993年8月14日、NICOSシリーズ第5節の浦和レッズ戦で途中交代によりJリーグ初出場[11]。市原には1995年まで在籍し、リーグ戦通算成績は18試合1ゴールだった[1]。
その後は旧JFLの富士通川崎(現・川崎フロンターレ)、関東サッカーリーグのホンダルミノッソ狭山FC、JFLの横河電機(現・東京武蔵野シティFC)でプレー。2000年シーズンに一度は引退したが、2001年3月に現役復帰し同シーズンも横河電機でプレーした[12]。2002年より李清敬に誘われて彼が監督を務めるFC KOREAに加わり、選手兼コーチを務めた[13]。
FC KOREAの監督、アルテ高崎のコーチ[14] を経て、2012年8月、東北社会人サッカーリーグ2部のFCガンジュ岩手監督に就任。同年、東北2部北リーグに優勝して1部に昇格。2014年、2015年と2年連続で1部リーグに優勝したが、全国地域リーグ決勝大会では両年とも1次ラウンドで敗退した。2015年12月1日、退任が発表された[15]。
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所属クラブ
- 東京朝鮮高級学校
- 朝鮮大学校
- 1992年 - 1995年
ジェフユナイテッド市原
- 1996年
富士通川崎FC
- 1997年 - 1998年
ホンダルミノッソ狭山FC
- 1999年 - 2001年
横河電機サッカー部
- 2002年 - 2003年
FC KOREA
- 2016年
FCガンジュ岩手(選手兼CEO)
個人成績
代表歴
- ユニバーシアード北朝鮮代表
指導歴
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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