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白滝理四郎

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白滝 理四郎(しろたき りしろう、1894年明治27年)9月5日[1] - 1967年昭和42年)11月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

概要 白滝 理四郎, 生誕 ...

経歴

1894年(明治27年)に栃木県で生まれた[1]陸軍士官学校第27期、陸軍大学校第36期卒業[2]1938年(昭和13年)7月15日陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍士官学校教官に着任し[3]1939年(昭和14年)3月に第35師団参謀長(北支那方面軍)に転じて日中戦争に出動[2][3]黄河沿いの新郷衛輝に駐屯し、魯西作戦、晋東作戦などの治安作戦に従事した[2]

1941年(昭和16年)10月15日に陸軍少将進級と同時に歩兵第133旅団長(北支那方面軍・第110師団)に着任し[2][3]石門を根拠地として治安戦に任じた[2]1942年(昭和17年)4月に同旅団が第110歩兵団に改編されると[2]、そのまま第110歩兵団長に就任した[2]1943年(昭和18年)4月に第18独立守備隊長(南方軍)に転じ[2]1944年(昭和19年)10月に第7方面軍司令部附を経て[2]1945年(昭和20年)4月7日東部軍管区司令部附となった[4]4月30日大邱師管区兵務部長(朝鮮軍管区[5][6])に就任して終戦を迎え[2]10月20日に東部軍管区司令部附となった[7]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[8]

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脚注

参考文献 

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