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石巻市立釜小学校
宮城県石巻市にある小学校 ウィキペディアから
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この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。  (2018年9月)  | 
沿革
- 1946年(昭和21年)
- 門脇小学校から釜国民学校として独立(児童数:447名 学級数:8学級)
 - 5月7日 - 校歌制定
 
 - 1951年(昭和26年)
- 完全給食実施
 
 - 1956年(昭和31年)
- 校旗樹立
 
 - 1970年(昭和45年)
- 新校舎(現在地)へ移転
 
 - 1972年(昭和47年)
- 体育館落成
 
 - 1974年(昭和49年)
- プール落成
 
 - 1981年(昭和56年)
- 玄関前に校歌碑建立
 
 - 1988年(昭和63年)
- 完全給食方式からセンター方式に移行
 - PTAバザー実施
 
 - 1997年(平成9年)
- 図工室新築
 
 - 1998年(平成10年)
- 「釜小農園」開設
 - 「なしの木学級」(弱視学級)設立
 
 - 1999年(平成11年)
- 6月 -「なかよし学級」(情緒障害学級)設立
 
 - 2000年(平成12年)
- 「なしの木学級」(知的障害学級)設立
 
 - 2001年(平成13年)
- 「ひまわり学級」(肢体不自由学級)設立
 
 - 2007年(平成19年)
- 「なかよし学級」(情緒障害児学級)設立
 
 - 2011年(平成23年)
- 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震にて罹災、避難所開設
 - 10月6日 - 避難所閉鎖
 
 - 2013年(平成25年)
- 震災復興工事完了
 
 - 2014年(平成26年)
- 校訓制定
 
 - 2015年(平成27年)
- 「梨のふるさと釜」石碑建立
 
 - 2017年(平成29年)
- キャッチフレーズである「やさしく」「かしこく」「たくましく」の看板を四階ベランダに設置
 
 - 2020年(令和2年)
- 3月2日 - 新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受けて休校[1]
 
 
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東日本大震災による被害
東日本大震災の際、付近にある石巻市泉町・門脇の地震計は両方とも震度6弱を記録していた[2]。
人的被害
児童24名が犠牲、1名が行方不明という甚大な被害を受けた[1]。
物的被害
校舎一階が約1.3mの高さまで、体育館がステージ高付近まで浸水した[1]。
また、プールが水没、ボイラーが被災した[1]。
学区
学区は以下の通りである[3]。
- 中島町
 - 重吉町
 - 西浜町
 - 築山一丁目・二丁目・三丁目・四丁目
 - 三ツ股一丁目・二丁目・三丁目・四丁目
 - 中浦一丁目・二丁目
 - 新館一丁目・二丁目・三丁目
 - 中屋敷一丁目・二丁目
 - 大街道西一丁目(2番39号、2番51号から2番53号まで、4番、12番)・二丁目・三丁目
 - 門脇
- 字浦屋敷
 - 字捨喰
 - 字明神
 - 字鷲塚
 - 字下鷲塚
 - 字元明神
 - 字元捨喰
 - 字元浦屋敷
 - 字青葉東
 - 字青葉西
 - 字一番谷地
 - 字二番谷地
 
 
校章について
1946年(昭和21年)の開校と同時に設定された校旗は「古くから釜・大街道地区に梨園が数多くあり、地方の特産として有名であった」ことから梨の花の図案が用いられ、この図案は一貫して変わらず、現在に至っている。また、1957年(昭和32年)9月1日から児童に佩用させた、バッチ・帽章と同時に製作した「わかば会旗」も同様の図案になっている。[要出典]
脚注
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