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石末龍治
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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石末 龍治(いしずえ りゅうじ、1964年7月22日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元サッカー選手、サッカー指導者(GKコーチ)。
来歴
伊丹北高校時代の3年のときに、兵庫県選抜入りし、兵庫県の初優勝に貢献、和田昌裕、永島昭浩と共に「兵庫・高校三羽がらす」と呼ばれた。その後、東海大学を経て、1987年に全日空横浜サッカークラブに入団。1992年はレギュラー、1993年のJリーグ発足後は、森敦彦の控えに回ることになったが、森の不調や出場停止による試合出場時には好セーブを連発した。そのため、他チームの選手やサポーターからは「控え最強のGK」とも言われた。1993年の天皇杯決勝では出場停止の森に代わり先発、安定感のあるプレーで優勝に貢献した[2]。
1995年に地元である当時ジャパンフットボールリーグ(JFL)のヴィッセル神戸に移籍、翌年にはJFL2位となりJリーグ昇格に貢献した。なお、石末が移籍した年の5月に永島が、7月には和田も神戸に入団しており、13年ぶりに「三羽がらす」が揃うことになった。
1998年限りで現役を引退、その後もチームに残り、コーチ、アカデミースタッフとして後進育成にあたった。
2019年には三田松聖高等学校のアドバイザーに就任。
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エピソード
- 1998年のJリーグ1stステージで、コンサドーレ札幌相手に痛恨のミスを犯して失点し、次節以降レギュラーから外されてしまった。しかし11月26日に行われたJ1参入決定戦(相手はコンサドーレ札幌)で、神懸りなセーブを連発しチームの降格を救った。
- 横浜フリューゲルス時代に、マンガの『キャプテン翼』に名前だけ登場し、若島津健にレギュラーを取られている。
所属クラブ
- 1980年 - 1982年 兵庫県立伊丹北高等学校
- 1983年 - 1986年 東海大学
- 1987年 - 1994年 全日空横浜サッカークラブ/全日空サッカークラブ/横浜フリューゲルス
- 1995年 - 1998年 ヴィッセル神戸
個人成績
その他の公式戦
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指導歴
- 1999年 - 2018年1月 ヴィッセル神戸
- 1999年 - 2001年 普及コーチ
- 2000年 - 2006年 JFAナショナルトレセン コーチ(兼任)
- 2002年 - 2003年 ユース コーチ
- 2004年 - 2005年 ジュニアユース 監督
- 2006年 - 2007年 U21 GKコーチ
- 2008年 育成アドバイザー
- 2009年 - 2015年 U18 GKコーチ
- 2010年 - 2016年 兵庫県サッカー協会GKプロジェクトチーフ(兼任)
- 2016年 U18 GKコーチ兼アカデミーダイレクター
- 2017年 - 2018年1月 アカデミーダイレクター
- 1999年 - 2001年 普及コーチ
- 2019年 三田松聖高等学校 アドバイザー
- 2020年 - アルビレックス新潟
- 2020年 - 2024年 トップチーム GKコーチ
- 2025年 - U-18 GKコーチ
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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