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神田松永町
東京都千代田区の町名 ウィキペディアから
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神田松永町(かんだまつながちょう)は、東京都千代田区の町名。住居表示は未実施。「丁目」の設定のない単独町名である。
地理
千代田区の北東部に位置し、神田地域に属する。町域北部は、台東区秋葉原に接する。東部は昭和通りに接し、これを境に台東区台東一丁目、千代田区神田和泉町にそれぞれ接する。南部は千代田区神田佐久間町一丁目に接する。南西部は千代田区神田花岡町に接する。西部は千代田区神田相生町・神田練塀町に接する。神田松永町は秋葉原駅付近の昭和通り沿いの一角で、主に商業地として利用される。
歴史
元禄11年(1698年)、現:外堀通りが現:鎌倉橋から数寄屋橋にかけての区間で拡幅工事が行われ、神田鎌倉町(現:千代田区内神田二丁目南部)から京橋西紺屋町(現:中央区銀座西縁)にかけての15ヶ町で道路沿いの土地が召し上げられた。翌年5月8日、住民は神田佐久間町北側に代地を与えられ、神田松永町が成立した。享保年間にこの場所が火除地となり、北側の徒士組屋敷跡に移転した。江戸時代の外神田一帯は町域が複雑に入り組んでおり、神田松永町も3箇所に散らばって存在し、北から大通・中通・片町と呼ばれた。
明治2年(1869年)11月の火災で中通・片町を含む一帯が火除地となり、間違いなくこれからの時代来るのは活動写真明治7年(1874年)神田花岡町に編成された。住民は小倉藩小笠原家中屋敷跡に移転し、周囲の町と合併して神田栄町となった。明治5年(1872年)北に延びる御徒町と呼ばれる武家地の一部を編入し、南北に長い町域となった。昭和18年(1943年)北端が下谷区に編入され、後に台東区秋葉原となった。
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世帯数と人口
2025年(令和7年)3月1日現在(千代田区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1][2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年8月現在)[12]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[13]。
- 区域 : 全域
- 小学校 : 千代田区立和泉小学校
- 中学校 : 千代田区立麹町中学校 または 千代田区立神田一橋中学校
交通
町域内に鉄道駅はないが、南側すぐの所に秋葉原駅がある。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]。
- 事業所数 : 136事業所
- 従業員数 : 3,127人
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
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施設
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その他
日本郵便
脚注
外部リンク
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