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福田赳夫内閣 (改造)

日本の内閣 ウィキペディアから

福田赳夫内閣 (改造)
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福田赳夫改造内閣(ふくだたけおかいぞうないかく)は、福田赳夫が第67代内閣総理大臣に任命され、1977年(昭和52年)11月28日から1978年(昭和53年)12月7日まで続いた日本の内閣

概要 福田赳夫改造内閣, 内閣総理大臣 ...

前の福田赳夫内閣改造内閣である。

概要

1977年(昭和52年)に起きた日本赤軍によるダッカ事件福田一法務大臣を辞任したことを受け、第82回臨時国会終了後に人心一新の意味合いもあって行われたものである。

組閣後の会見で福田は、経済企画庁長官宮澤喜一を、対外経済担当大臣に牛場信彦を任命したことを引き合いに出し、この内閣を「空飛ぶ福田内閣」と命名した。

この福田赳夫改造内閣時代のトピックスとしては、

  1. 新東京国際空港(現・成田国際空港)の開港:1978年(昭和53年)5月20日
  2. 中国政府との日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約(日中平和友好条約)調印:1978年(昭和53年)8月12日

が挙げられる。

与党・自民党の総裁改選を控えた福田は、総裁再選への流れを作るために衆議院を解散して民意を問うことを検討したが、福田政権の長期化をよしとしない田中派の防衛庁長官・金丸信が「大義名分のない解散には反対する。解散が閣議で諮られたら署名を拒否する。」と公言[1]。福田は金丸を注意するが、結局解散できぬまま総裁選に臨み、敗退して内閣も総辞職する。日本国憲法下で与党党首選での敗北により総辞職した内閣はこれが唯一である。

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内閣の顔ぶれ・人事

所属政党・出身
  自由民主党   民間中央省庁

国務大臣

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内閣官房副長官・内閣法制局長官・総理府総務副長官

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政務次官

前内閣の政務次官が1977年(昭和52年)11月30日に退任し、同日付で新たな政務次官を任命した。ただし、法務政務次官・青木正久は前内閣からの留任。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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