トップQs
タイムライン
チャット
視点
秋月種美
日本の江戸時代中期~後期の大名。日向高鍋藩5代藩主秋月種弘長男で、高鍋藩6代藩主(秋月氏22代当主)。従五位下佐渡守・長門守 ウィキペディアから
Remove ads
秋月 種美(あきづき たねみつ[1] / たねみ)は、江戸時代中期の大名。日向国高鍋藩6代藩主。次男に出羽国米沢藩主となった上杉鷹山がいる[1]。
Remove ads
生涯
享保3年(1718年)、5代藩主・秋月種弘の長男として誕生した。庶長子ではあったが世子となり、享保17年(1732年)9月28日、8代将軍徳川吉宗に御目見する。同年12月16日、従五位下・佐渡守に叙任する。享保19年(1734年)12月7日、種弘の隠居により跡を継いだ。
宝暦3年(1753年)に父が死去するまでは実権はなかった。父の死後に親政を行なうが、種美の治績は文武を奨励し、藩士子弟の遊学を許して広く人材を求め、藩の軍備を充実させると同時に、民政においても代官には人格ある学者を起用するなど、人事制度に大きな治績を残している。種美は「国家の至宝は人材に有り」と述べているが、その好学と人材重視の姿勢は長男の種茂(7代藩主)、次男の鷹山にも受け継がれ、二人がともに名君として大成する土台となった。
Remove ads
系譜
父母
- 秋月種弘(父)
- 柴垣氏 ー 側室(母)
正室
- 春姫 ー 黒田長貞の次女
子女
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads