トップQs
タイムライン
チャット
視点

秋田俊季

日本の侍 (1598-1649) ウィキペディアから

Remove ads

秋田 俊季(あきた としすえ)は、江戸時代前期の大名常陸国宍戸藩藩主、のち陸奥国三春藩藩主。秋田家第3代当主。安東太郎[1]

概要 凡例秋田 俊季, 時代 ...

生涯

慶長3年(1598年)、秋田実季の子として山城国で生まれる[2][1]。母は、細川昭元の娘・円光院[2]。幼名は東太郎[3]

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、父・実季と共に出陣した[3][1]元和元年(1615年)4月26日、従五位下伊豆守に叙任された[1]。同年5月の大坂夏の陣では、天王寺口の攻撃に加わった[3]天王寺・岡山の戦い)。

元和2年(1616年)7月、日光山普請手伝いを務める[4]。同3年(1617年)、徳川秀忠上洛する際、供奉した[4]。同4年(1618年)4月、秀忠が日光山に詣でた際、これに従った[4]

元和5年(1619年)4月2日、河内守となる[4][3]。この頃から実季と不仲になる[3]

寛永8年(1631年)、実季は領地を没収され、伊勢国朝熊に蟄居させられた[2]。同年、この後を継ぐ[4]正保2年(1645年)8月、5000石を加増され、陸奥国三春5万5000石に転封となる[2]

慶安2年(1649年)1月3日、勤番中の大坂城内で病死した[2][3]。52歳[2]。法号は真如院殿実岩常固大居士、墓は高乾院(荒町)にある[2]

長男の盛季が跡を継いだ[4]

Remove ads

系譜

○出典:『寛政重修諸家譜[5]

父母

兄弟

  • 秋田俊季
  • 秋田季次 - 次郎九郎、長門守従五位下
  • 秋田季信 - 大蔵、隼人正。
  • 秋田季長 - はじめ季安。三平。
  • 秋田季則 - はじめ季満。帯刀。
  • 女子 - 家臣・荒木金右衛門高綱の妻
  • 女子

正室

子女

  • 秋田盛季 - 母は永寿院
  • 秋田季久 - 母は永寿院
  • 女子 - 新庄直長の妻 - 母は永寿院
  • 女子 - 植村忠朝の妻 - 母は永寿院

略系図

徳川家光、豊臣秀頼は又従兄弟にあたる[6]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
細川昭元
 
お犬の方お市の方織田信長
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
秋田実季
 
円光院於江与
 
徳川秀忠淀殿
 
豊臣秀吉
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
秋田俊季徳川家光豊臣秀頼

脚注

参考文献

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads