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稲垣正夫 (実業家)

日本の実業家 ウィキペディアから

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稲垣 正夫(いながき まさお、1922年10月27日 - 2015年4月16日)は、日本実業家[1]外務省勤務を経て1956年広告代理店の旭通信社(現・ADKホールディングス)を創業した。

日本広告業協会副理事長、日本広告業厚生年金基金理事長などを歴任した。

来歴

  • 1922年10月27日 - 愛知県豊橋市で生まれる[2]
  • 豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業後、駒井徳三満洲で活躍する人材を育てるために宝塚市に作った私塾「康徳学院」に学んだ[3][4]。外務官吏研修所卒業後、外務省に入省[5]。その後出版社に勤務。
  • 1956年3月 - 東京・目白を本店として、雑誌広告を中心に扱う広告代理店・旭通信社をわずか4人で設立[6]。設立した仲間はいずれも康徳学院の出身者である。同年5月、同社代表取締役社長に就任。
  • 1992年3月 - 同社代表取締役会長に就任。
  • 1993年2月 - 同社代表取締役社長を兼務。
  • 1996年3月 - 社長の座を多氣田力に譲る。
  • 1999年1月 - 旭通信社と第一企画が合併[6]、アサツー ディ・ケイ社長に就任。
  • 2008年 - 第53回日本宣伝大賞受賞[7]
  • 2010年3月 - 同社代表取締役創業者に就任。
  • 2011年3月 - 同社相談役創業者に就任。
  • 2015年4月16日 - 心不全のため死去[6]。92歳没。
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栄典

脚注

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