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稲沢貨車区
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概要
急増する旅客・貨物需要に対応することが困難になっていた名古屋駅では客貨分離を行うことになり、稲沢駅周辺が貨物仕分作業の移転地となった[1]。貨物仕分作業を行う稲沢操車場の開設に合わせて設置されたのが名古屋検車所稲沢分所である[2]。稲沢操車場の規模拡大に合わせて稲沢分所の作業量も増大し、1945年に稲沢検車区として独立[2]、1951年には組織改正により稲沢貨車区と改称した[3]。
主要業務は、貨車の交番検査や仕業検査、ディーゼル機関車の蓄電池保守[4]のほか列車掛が所属していた[5]。岐阜支区では貨車の交番検査のみ行っていた[5]。1985年には、トラ90000形貨車3両を用いた「清流ながら号」の改造を稲沢貨車区米原支区、稲沢貨車区美濃太田分室、美濃太田機関区とともに行った[6]。
国鉄分割民営化直前に名古屋客貨車区から貨車検修業務の移管を行った[7]。JR貨物継承後も貨車検修作業が主要業務であったが、1994年5月に稲沢機関区の検修部門と合併して愛知機関区が発足し、稲沢貨車区は消滅した。
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歴史
- 1925年(大正14年)1月16日:稲沢操車場新設に合わせて名古屋検車所稲沢分所が発足[8]。
- 1937年(昭和12年)7月16日:名古屋検車所稲沢分所が名古屋検車区稲沢支区と改称[1]。名古屋検車所岐阜派出所を稲沢支区の下部組織とする[1]。
- 1945年(昭和20年)4月20日:稲沢操車場の発展による業務量の増加に伴って名古屋検車区から独立、稲沢検車区と改称[9][1]。名古屋検車区稲沢支区岐阜派出所を統合、稲沢検車区岐阜派出所が発足[1]。
- 1951年(昭和26年)4月1日:稲沢貨車区と改称[3]。岐阜派出所を格上げし、岐阜支区とする[1]。
- 1981年(昭和56年)1月20日:58mのピット線4線と転削線1線を備えた新検修庫建設工事が着工される[10][11]。
- 1982年(昭和57年)
- 1984年(昭和59年)2月1日:美濃太田客貨車区および高山客貨車区を統合し、稲沢貨車区美濃太田派出所および高山派出所が発足[13]。
- 1985年(昭和60年)3月14日:米原客貨車区および米原客貨車区大垣派出所を統合し、稲沢貨車区米原支区および大垣派出所が発足[14]。美濃太田派出所および高山派出所を廃止[14]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:名古屋客貨車区の貨車関係の業務の一部が移管され、名古屋客貨車区四日市支区及び東港派出所を稲沢貨車区四日市支区、稲沢貨車区東港派出所と改称[7]。稲沢貨車区米原支区を分離し、大垣電車区米原派出と改称[7]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、日本貨物鉄道(JR貨物)東海支社の管轄となる。
- 1994年(平成6年)5月2日 - 稲沢機関区の電気機関車・ディーゼル機関車検修部門と稲沢貨車区が合併し、愛知機関区が発足[15]。
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脚注
参考文献
関連項目
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